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麻生田町大橋遺跡 土偶A 145:タブノキの蕾と黄八丈
牟呂用水の名称の元になっている豊橋市牟呂町に到達しました。牟呂用水の最終地点は近いのかもしれません。牟呂用水の牟呂町に架かった最後の橋が上坂津橋でした。
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上坂津橋上から下流側を眺めると、60mあまり下流で水路が蛇行しているのだが、これがごく最近、蛇行するように改変されたもので、上記地図を見ても、水路は直線になっている。
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上坂津橋上流側では両岸のガードレールが上記写真左手(左岸)の黒茶色の金属パイプのガードレールと同じものだったのが右岸だけ、色は同じ黒茶色だが、縦格子の金属柵に変わった。
しかし、それも、用水路の蛇行が始まる辺りまででその先は、柵の高さが低く変化している。
上坂津橋から下流110mあまりに架かった名称不明の橋に移動。
ここはすでに牟呂外神町となっている。
その牟呂外神町 不明橋上から上流側を見ると、左岸(下記写真右手)は黒茶色のガードレールが護岸上に通されており、道路には白線が引かれて、細い歩道が設置されていた。
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黒茶色のガードレールは一般に白色で使用されている、どこにでもあるガードレールだ。
右岸(上記写真左手)も途中まで同じ黒茶色のガードレールが設置されているのだが、ステンレスのn字型の車止めが、設置されていたり、電柱が道路の真ん中に建てられていて、歩行者を守るようになっているようだ。
牟呂外神町 不明橋を通っている道路を南東に200mあまりで、南向きの社頭のある桜並木の表参道の前に出た。
社頭に愛車を駐めて、表参道に入ると、7m幅の広い参道には細かな砂利が敷き詰められていた。
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社頭から20mほどの場所に石鳥居が設置され、さらにその20mほど奥に社殿が見えている。
表参道を進むと、「八所神社」と墨書きされた石造の社頭額の掛かった石鳥居は明神鳥居のようだ。
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鳥居の先の境内は広がっており、鳥居から先には縁石を持ったコンクリートでたたかれた参道が拝殿に向かって延びている。
鳥居をくぐって、表参道を進むと、瓦葺切妻造平入の拝殿前に出た。
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すでに電灯が点灯しており、50cmほどの高さの石垣上に向拝屋根を持つ拝殿が設置されていた。
正面は舞良戸(まいらど)と格子戸が閉め立てられている。
拝殿前に上がって参拝した。
かつて「八王子社」と呼ばれた社なので、祭神は以下のように、天照大御神と須佐之男命の誓約で生まれた八柱が祀られている。
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびとのみこと)
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田木津比売命(たきつひめのみこと)
海路や水路と縁の深い宗方三女神(むなかたさんじょしん/上記太字)を含んでいる。
拝殿前を降りて、拝殿の左脇に回ると、拝殿の裏面には幣殿と本殿が連なっていた。
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拝殿から本殿まで、瓦葺で側面は素木の板壁が陽に燒けている。
本殿は流造の覆屋になっている。
本殿の鬼瓦を見上げると、鬼瓦にも軒瓦にも丸に花菱紋が入っていた。
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花菱紋は住吉三神を祀った大阪市住吉大社の神紋だ。
花菱紋 |丸に花菱紋
住吉大社 |八王子社(八所神社)
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《住吉三神》|《宗方三女神》
・底筒男命 |・多紀理毘売命
・中筒男命 |・市杵島姫命
・表筒男命 |・田木津比売命
ともに三神形式の祭神が祀られているという共通点があるが、花菱紋に丸を付け加えることで、住吉大社と区別化したのが八王子社(八所神社)だ。
八所神社本殿の右脇には瓦葺切妻造棟入の境内社覆屋が祀られていた。
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正面は堂のように格子戸になっているが、軒下には注連縄が張られている。
境内社頭に掲示された案内板には境内社の祭神は以下左の三社となっていたが、実際には境内社覆屋内には以下右の三社の神棚が祀られていた。
・秋葉神社 |・秋葉神社
・津島神社 |・神明神社
・金毘羅神社|・金毘羅神社
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津島神社の祭神建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)も水路に関連づけられて祀られることのある神だし、金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)の祭神も、神仏分離する以前は金比羅権現〈バラモン教の神クンピーラ(ワニの化身)とする説がある〉とされ、やはり海洋水運の神だ。
この境内社覆屋の右脇後ろには古くから樹霊信仰の対象とされてきた﨓の木(タブノキ)の古木が根を境内に広げていた。
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﨓の木は鎮守の森に大木として、よく見られるクスノキ科の常緑高木だが、淡褐色の樹皮を持つ幹の直径は1m以上あるのに、高木とは言い難い古木だった。
5月の初旬ということで、花期を迎えており、2.5mくらいの高さに密集している新葉の間に雄黄色の多数の蕾を出している。
樹皮や葉から黄八丈(八丈島に伝わる草木染めの絹織物)に使用する黄色い染料が採れるというが、蕾はちょうど黄八丈のような色だ。
黄八丈を着た以下のような浮世絵が残っている。
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ただ、花が開くと黄緑色に変わるという。
﨓の木は暖地の海岸近くの丘陵地などに多く自生するというが、その材はかつては船材に使われ、漁業では海上から陸に高くそびえるタブノキを目印に位置を知り、魚を集める「魚寄せの木」として活用されたという。
ここから北西に位置する現在の海岸線(豊川河口)までは3.1kmあまりだ。
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『万葉集』の巻十九4159には大伴家持の詠んだ歌があります。
「磯の上の都万麻(ツママ)を見れば根を延へて年深からし神さびにけり」
この歌中の都万麻が﨓の木だとする説が存在します。