麻生田町大橋遺跡 土偶A 81:天白神とは瀬織津姫命だった
愛知県岡崎市真宮町の真宮神社(しんぐうじんじゃ)から、県道293号線を経由して南西450m以内に位置する岡崎市天白町の天白神社に向かいました。
地図上で天白神社にもっとも近い路地に入って行くと、乙川(おとがわ)の左岸堤防下にある貯水池に行き当たり、そこから天白神社のある南東方向を見ると、綺麗に草の刈られた丘陵が立ち上がっていた。
天白神社はその丘陵上にあるようなので、丘陵への登り口を探すと、丘陵の北東側の麓に、丘陵の上に向かう幅50cmほどしかないスロープを見つけた。
周囲は工事中のようで、工事関係者の車両が数台、路肩に駐められていた。
そうした車両を避けた場所に愛車を駐めて、南東に向かうスロープを登った。
スロープを登りつめると、神社の境内に出た。
社頭は境内の南東側にあり、社頭前の道路の向かいには真宗聖法寺がある。
曹洞宗慈雲寺から改宗した寺院のようだが、その前身の寺院はおそらく密教寺院で、天白神社とは神仏集合していたのだろうと思われる。
天白神社の社地は聖法寺の一部のような形になっている。
天白神社も聖法寺も境内は道路とは境が無く、道路は聖法寺の私道になっているのか、地図には天白神社の社頭に至るその通路は表記されていなかったのだ。
社頭と判るのは3段の石段の上に石造明神鳥居があり、左脇に「村社 天白神社」と刻まれた社号標があるからだ。
鳥居の右脇には鉄のポール上に切妻造の屋根を葺いた格子窓を持つ小さな箱を乗せたものが立っているが、常夜灯だろうか。
鳥居の正面奥には拝殿らしき建物が見える。
上記写真の右端奥には乙川の堤防も見えている。
目の前の石段を上がると、鳥居の先には砂地の境内が広がっており、参道は特に設けられていない。
鳥居をくぐると、大きな焚き火の跡があり、5段の石段を持ち、石垣の組まれた土壇上に瓦葺の拝殿が設けられている。
石段に至ると瓦葺入母屋造平入の拝殿は、さらに40cmほどの高さに石垣を組んだ基壇上にあり、軒下に白壁、栗皮茶に染められた腰板を巡らせた葺きっぱなしの
拝殿を通して奥に本殿覆屋が覗いている。
拝殿の西側に回ると、本殿覆屋は瓦葺切妻造で向拝屋根が前に突き出した建物で、正面の戸と側面の壁には淡藤色のトタン板が張られている。
向拝屋根の下で参拝した。
現在の境内には由緒書は見えなかったが、ネット上に以前は掲示されていた用紙に筆書された由緒書『天白神社』の写真が残っていた。
鎮座地 岡崎天白町吉原八十五番地
祭神 瀬織津姫命
由緒
風水の神で伊勢からこの地方に多く鎮座する。矢作川東堤にあって水防の守護神と尊崇された中の郷源妙寺古文書に天文十五年(1548)四月五日付松平忠広(家康公の父)〓不入状に「上和四てんぱく導場」とあり その頃既に鎮座の事がわかる。
〜後略
信徒総代 (〓は可読性の無い文字)
祭神の瀬織津姫命(セオリツヒメ)は記紀には登場しない神とされているが、祝詞(のりと)の一つである大祓詞(おおはらえことば)に登場する神であり、『ホツマツタエ』は『日本書紀』神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ:天照大神の荒御魂)を瀬織津姫命と同一神とし、アマテル(ニギハヤヒ)の皇后であり、アメノオシホミミ(天忍穗耳尊)の母としている。
上記由緒書にある「矢作川東堤」だが、この部分では上記地図で判るように、現在の矢作川と並行して流れる乙川の間の砂州が下流に延びており、天白神社の脇の堤防は矢作川ではなく乙川の東堤となっている。
本殿覆屋の正面板戸の敷居にはお神酒とお水のボトルが奉納されていた。
天白神社を出て、愛車で堤防下貯水池の間を通り抜けて、乙川の東堤に登っていくスロープに入り、乙川の様子を観に向かった。
東堤に上がったが、このあたりでは堤防の上と川面は離れており、間には葦や灌木が生い茂っていて、乙川の川面はまったく観ることはできなかった。
川面を観たいので、東堤の上流に向かったのだが、堤防上は途中に交通留めの鎖が張ってあった。
2輪車の利点を悪用して鎖の脇をすり抜け、さらに上流に向かったが、300m近く上流に向かうと、堤防が水面に寄っており、乙川に設けられた頭首工(とうしゅこう:水門)が視野に入ってきた。
途中、乙川堤防のパトロールカーの脇を通ったが、特にクレームは受けなかった。
乙川頭首工は鮮やかなオレンジ色に彩色された4枚のゲートを持つ樋門で、4基の門柱の上にはそれぞれ上屋が乗っている。
上記写真では影になっている一番手前のゲートだけが上げられ、水を下流(写真手前)に流していた。
矢作川の川面は、ここからはまったく見えない。
地図で想像していた河原より、はるかに広大な河原が広がっていた。
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豊川市の麻生田大橋遺跡を元にしたレイラインを辿り終わった後、乙川の水源地から矢作川合流点までをたどる予定なので、乙川頭首工には再びやってくることになりそうです。
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