中条遺跡 土偶A 28:大國主命の足元
弘法大師の掘り当てた3カ所の井戸が存在する重原の三井戸の猿渡川(さわたりがわ)を挟んだ対岸の半城土町(はじょうどちょう) 秋葉神社で役小角像(えんのおづぬぞう)と遭遇したことから、刈谷市に存在する行者堂を巡ることにした。
まずは刈谷市内にある行者堂を調べてみると、3カ所が存在したが、半城土町 秋葉神社の行者堂はヒットしなかった。
だから、ネットに上がっていない行者堂が他にも存在する可能性はある。
ヒットした行者堂は神社が1カ所、寺院が2カ所だった。
今回は神社と寺院、各1ヶ所の行者堂を巡ることにした
まずは3ヶ所のうち最も南に位置する小垣江町(おがきえちょう)の神明社に向かった。
小垣江町 神明社は半城土町 秋葉神社の南西2.5km以内に存在していた。
北側から神明社に接近すると、ヘッダー写真のように広い水田地帯に巨大な杜が広がっていた。
森の麓を玉垣が取り巻いているが、玉垣だけで、一体何トンの石材を使用していることか。
社伝によれば寛文5年(1665)にこの地を開発した12氏たちは領主稲垣信濃守に申出て、素志を差し出し、この杜の造成に着工したという。
この神明社の社頭を探して、巨大な杜を取り巻く農道を時計回りに回ると、南東の角地に入口があった。
改めて南東側から杜を眺めると、社地は奥に長く延びている。
社地の東側(上記写真右端)に玉垣の切れ目があったので、その社内の外れに愛車を入れた。
社内側から社頭に向かうと、表道路から10m以内に石造伊勢鳥居があって、そこから細かな砂利の敷きつめられた表参道が北西に向かって一直線に延びており、正面奥に瓦葺の社殿が見えている。
鳥居の外側にあった社号標には「村社 神明社」とある。
鳥居をくぐって参道を進むと両側にはよく手入れされた社叢が美しい幹を様々な形で天に向かって伸ばしていた。
鳥居から表参道の突き当たりまで100mあまりで、狛犬が番をしている本瓦葺入母屋造平入の拝殿前に至った。
拝殿の壁は全て板張りで、戸は珍しい板格子戸となっている。
拝殿の板壁に張り出された『神明社由緒略記』には「神明社は七柱が祀られています」と書かれているのみで祭神には触れていない。
ネットで調べてみると、祭神を二柱とする情報と六柱とする情報があったが、この両方の情報を整理すると、以下の七柱となった。
・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)神明社の総本社神宮内宮の主祭神
・誉田別尊(ほんだわけのみこと)天照皇大神の子孫応神天皇の神名
・迦具土神(かぐつちのかみ)天照皇大神の弟スサノオの別名
・豊受姫命(とようけひめみこと)神明社の総本社神宮外宮の主祭神
・豊斟渟命(とよくむぬのみこと)神世七代の第2代の神
・大縣命(おおあがたのみこと)尾張国開拓の祖神
・大山祇神(おおやまつみのかみ)この場所に最初に祀られていた地主神
本来、上記のうちの6社が祀られていた本殿に末社として祀られていた大山祇神が、社が風化したことで本殿に合祀されたものと推測できる。
拝殿前で参拝して、左手に並んでいる社殿を見ると、下記写真左2棟の末社覆屋が並んでいた。
2棟の末社覆屋の向こうが拝殿、最奥が社務所。
手前から2棟目の末社秋葉社の覆屋は本瓦葺入母屋造棟入で前面全面には縦格子戸が立てられている。
格子戸越しに屋内を見ると、内部は白壁で奥の棚の上に社ならぬ金と墨で漆塗りされた厨子が設置されていた。
厨子の両側には額入りの戦時中の写真が置かれている。
左が軍事演習、右が迫撃砲の写真だ。
それはともかく、厨子が使用されていることは下記のような三尺坊像が納められている可能性があるということだ。
上記三尺坊像は須坂市蓮生寺の木造秋葉三尺坊大権現神像。
狐に乗ったカラス天狗像だが、狐が何かくわえている。何だろう。
秋葉社の左隣の瓦葺切妻造平入の覆屋が五社だった。
この連棟社内に5社が祀られているということなのだが、社内を観ると、5社の祠の並んでいる両外側に大國主命と大巳貴命が追加(★)されていた。
つまり、後から周辺に祀られていた二社が持ち込まれ、実際は七社が祀られていたのだ。
その七社を拝殿側(向かって右)から以下に列記してみた。
★大國主命
・津島神社 祭神:建速須佐之男命
・御鍬神社(おくわじんじゃ)祭神:天照大御神
・白山神社 祭神:菊理媛尊
・愛宕神社(あたごじんじゃ)祭神:伊弉冉尊
・秋葉神社 祭神:秋葉三尺坊大権現
★大巳貴命
まず、最後の「大巳貴命」だが、これは「大己貴命(オオナムチ)」の間違いだ。
各所で、この間違った表記が見られる。
七社の中で蛇神とみられるのは大己貴命だけなのだが、ここ神明社に祀られた大巳貴命の祠は石祠で、祠内には祠内いっぱいの大きさの岩が入れてあった。
おそらく、台風で飛ばされないように、単に重石として入れてあったのだろうが、意味のある石だと思って石祠に入れたまま、ここに持ち込んだものだと思われる。
七社の中で興味を惹かれたのは唯一、一番右端に祀られていた大國主命だった。
それは晒し木綿の神前幕を下ろした素木造の縦長の祠内に同じく素木造の大國主命神像を納めたものだった。
幕の隙間から大國主命の乗った俵と足元がのぞいていた。
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小垣江町 神明社の社内に祀られていたのは以上でしたが、目的の役小角は見当たりませんでした。
しかし、鳥居の外側に2棟の社殿があったので、表参道を戻ってその2棟の社殿を観に向かいました。