麻生田町大橋遺跡 土偶A 33:黒い杜
豊川市砥鹿神社(とがじんじゃ)里宮に参拝した日、まだ陽が陰っていなかったので、砥鹿神社里宮の南西580m以内に位置する金山神社に向かいました。
金山神社は上野にあって、船首のように南東に向かって尖った社地の先端にあった。
境内には鍛冶場の地面のような黒い砂が敷き詰められていた。
鳥居は明神鳥居で、社号標にある「村社 金山神社」の「金」には旧字が使用されている。
鳥居の正面奥30m以内には拝殿が設置されていた。
屋根も壁もガラス戸も漆黒の社殿だ。
鳥居をくぐって真っ直ぐ、瓦葺入母屋造平入の拝殿に向かった。
これで、基壇の石垣も黒曜石で埋められていたら格好好いだろうなと思いながら、拝殿前に上がって参拝したが、現場には案内書は見当たらず、ネット上に以下の祭神が紹介されていた。
金山神社の総本社である美濃国(岐阜県)一宮南宮大社(なんぐうたいしゃ)では祭神は「金山毘古神」一柱となっている。
金山毘古命は鉱山の神とされ、伊弉冉尊(イザナギ)が、火の神となる火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産み落とした後、陰部を炎症し、衰弱していく中で、その嘔吐物の中から生まれ出た神とされている。
鉱山の神という性質から鍛冶屋の神、金工職人の神、金物商の神として崇められ、金属加工の神とされている。
併祀されている金山毘売命も兄の金山毘古命と同じ経緯で生まれている。
同じくネット上には以下の『由緒』が紹介されていた。
なんと、社名に「荒神」が入っている。
拝殿を降りて西脇に回ると、水に代えて、境内の黒い砂とは対照的な白い大粒の砂利を敷き詰めたプールがあり、その中に飛び石が並び、正面奥に瓦葺切妻造平入の覆屋が設置されていた。
飛び石を渡っていくと、途中左右に樹種の異なる樹木がコンクリート枠内に植えられ、そのすぐ先に覆い屋があるが、正面は吹きっぱなしで、床も砂利が敷き詰められ、屋内には不明の社が祀られていた。
屋内にも表札は無く、祀られた祭神は不明だが、水は張られてないものの、プール状の中に祀られていることから推測すると、金山毘古命・金山毘売命の母神の伊耶那美命、あるいは刀釼鍛冶が祀っていたことからすると、金山毘古命が生まれる直接のきっかけとなった火之迦具土神のどちらかである可能性が高いと思われる。
拝殿の東側に回って、本殿覆い屋の全景を観た。
瓦葺切妻造平入の本殿覆屋も渡殿も白い砂利を敷き詰めたプールの中に河原石を組んだ石垣の上に設置され、軒下妻部分の壁は旧社が流用されているものの、壁部分は現代のプレーンな黒い金属板で閉じられている。
本殿の東側には紫苑色と虹色の紫陽花が密集して開花していた。
色が褪めているように見えたので、枯れかけているのかと思ったが、時は5月の中旬で、これから最盛期を迎える季節だった。
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三河一宮である砥鹿神社への挨拶が済みましたので、次は龍神系神の祀られている神社と、三河を代表する寺院である豊川稲荷に参拝することにしました。