伊川津貝塚 有髯土偶 45:ヒンドゥーと中近東のハイブリッド
愛知県岩倉市北島町の岩倉市自然生態園内に祀られた津島社の境内社と思われる社に向かって西に延びる脇参道があり、そこには地面にセミが地表に出て来た時の抜け穴が無数に空いていました。その脇参道の先には社が見えていました。
その社には脇参道の途中から飛び石の参道が延び、社の足元には拝石が置かれていた。
脇参道の左手(南側)には空堀があり、その淵には脇参道が崩れないよう縁石が設けられていた。
脇参道の右手(北側)には空堀は無く、乾燥した落ち葉の積もった森がある。
南側の空堀は幅の広いU字型に掘られ、この脇参道から始まり、南に向かって延びている。
脇参道の突き当たり(西)には石と土を組んだ小さな饅頭型の塚の上をコンクリートで固めた頂上にコンクリートのU字溝を利用した基壇が設けられており、その基壇上に銅板葺切妻屋根を持つ素木の社が奉られていた。
そしてこの社の柱には「弁天社」と墨書きされた表札が掛かっていた。
となると、ここから南に延びる空堀は弁天池だった可能性があることになる。
一般に、弁天社の現在の祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)とされており、津島社に祀られた建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)の娘の一人に当たる。
しかし、これは明治に入って以降のことで、奈良時代〜江戸時代までの弁天社は華厳宗や密教寺院内に祀られ、弁財天は多国籍の七福神に含まれているように、ヒンドゥーの女神サラスヴァティー(インドの川の名称)が仏教に取り込まれた存在だった。
しかし、徐福あるいは秦氏に繋がる神と思われる武塔神(むとうのかみ)と習合したスサノオから生まれた娘がヒンドゥー系とは妙だが、スサノオ、武塔神、徐福と徐福の率いた秦国の技能者&若者たちは他国に放浪して婚姻を結んだ存在である。
市杵島姫命はヒンドゥー系と秦国を経由した中近東発祥の民のハイブリッドである可能性が高い。
ところで、境内社弁天社の真後ろには多くの弁天社と同様、捻じれた幹を伸ばした樹種不明の樹木が存在した。
弁天社から表参道に戻り、社頭に向かった。
社頭から出て社頭の東側に存在する瓢箪型の池を見に行った。
この池の水底は濁っており、パラパラと植物が葉を伸ばしていた。
愛知県の県花であるカキツバタはもっと葉幅が広いので、キショウブだろうか?
いずれにしても花期は5月〜6月なので、確認はできない。
津島社社頭西側のとんぼ池に向かった。
こちら側のとんぼ池ではキショウブ(?)と思われる葉が密集している。
とんぼ池には木製のイナヅマ型の橋が架かっていた。
木製橋の北側には池が広がっており、橋の途中からとんぼ池を撮影。
とんぼ池に沿って岸を北に向かうと、体長3cmほどしかない小さなヌマガエルに遭遇した。
ふたつの眼球が丸ごと頭部に乗っているのが特徴だ。
ヌマガエルは大きくても5cmほどの南方系のカエルで、インドから西日本にかけて各地に存在するカエルだが、各地で個別に分布しているために、地域によって大きさや表情は異なるという。
やはり近年の日本列島の高温化で、生態は狂い、関東でも見られるようになっているという。
小型の昆虫類を捕食するが、天敵はヤマカガシなどの蛇類、イタチなどの哺乳類、サギなどの鳥類と多彩であり、小型で体色が泥と保護色なのは生き抜くためのようだ。
泥質の場所にいたヌマガエルと異なり、砂質のキショウブ(?)の根元の湿地には背中に緑の線を持つトノサマガエルがいた。
この背中の配色は蛍光グリーンが1本頭頂を縦断している私のヘルメットと同じだ。
日本列島では最もポピュラーなトノサマガエルだが、このカエルは九州からロシア沿海州に分布する北方系で、体長は38mm〜94mmだという。
生きている昆虫類、クモなどを食べるが、貪欲で小型のカエル、ヘビなども捕食するし、共食いもするというから、同じ池にいるヌマガエルは餌になってるのだろうな。
天敵はタガメなどの大型水生昆虫、蛇・亀などの大型の爬虫類、サギなどの鳥類だという。
(この項続く)
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明確に人間を敵と認識して逃げようとするトノサマガエルと違い、ヌマガエルは逃げようとはするものの、頓珍漢な方向に跳んだり、うずくまって動かなかったりと、人間からみるとドン臭くて可愛く見えてしまうカエルです。ただ、いつも色気の無い本当に地味な色の場所で遭遇するカエルです。
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