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麻生田町大橋遺跡 土偶A 181:岩戸神話繋がり
岡崎市を流れる乙川の両岸、丸山町と岡町(おかちょう)を行き来するのに利用していた、まる岡新橋から、左岸(南岸)に沿って延びる道を辿って、下流130mあまりに架かった丸岡橋に移動しました。
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丸岡橋は幅が3m未満しかない橋なのに4輪車がよく通るので、橋上から川面を撮影することができず、左岸側の橋の袂から上流側を撮影した。
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上記写真右奥に架かった橋が、まる岡新橋。
すぐ目の前の左岸(手前)の岸に赤茶色にペイントされた鉄製の枠と格(横棒)を組み合わせた梯子状のものが水中に建てられていた。
当初、旧い橋脚かと思ったのだが、橋脚にしては幅が狭すぎる。
よく見ると、写真ではほとんど見えないのだが、上から3番目の格が高水敷(上記写真右手前部分)の高さに揃っているような気がする。
つまり、水位の目安にする装置ではないかと思えた。
対岸側からこの梯子状のものを見ようとしたら、高水敷の上には同じものだが、堤防の麓にも同じものが建てられていて、高さは3mほどあり、その梯子(?)の上から3番目の格が堤防の高さに揃えてあるように見えた。
しかもその梯子(?)の最も下の格には吹き流しのような浮子がロープで繋いで高水敷に置かれていた。
この高水敷の部分だけは草原になって開けていたが、乙川の両岸は密集した樹木で覆われている。
乙川の水面は静かで、ちょうど梯子(?)の麓あたりから、対岸に向かって何かが川床に設置されているのが微かに透けて見えている。
電線は上空を通してあるから、都市ガスなどの配管だろうか。
丸岡橋の右岸(北岸)に渡って、下流側を撮影したのが下記写真。
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樹木が密集していて、川縁に出られるところは存在しない。
丸岡橋から、西北西380mあまりに位置する加良須神社に向かった。
丸岡橋から北上して県道35号線を経由して、北から乙川方向に戻る形で南下すると、右手のガードレールの切れ目に「加良須神社(からすじんじゃ)」と刻まれた社号標が立てられていた。
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奥に朱の幟が林立しているのが見える。
表参道右手は印象的な糸杉の並木になっている。
社頭に愛車を突っ込んで、参道を奥に向かうと、10mあまりで、開けた場所に出たが、その先10m以内に石造明神鳥居が設置されていた。
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幟は石鳥居から奥に向かって並んでいた。
よく見ると鳥居の笠木(上の横棒)と貫(2番目の横棒)の上には小石がいっぱい乗っている。
拝殿は鳥居の正面ではなく、左手の社叢に沿った左手方向に位置している。
拝殿に向かい、拝殿全体を撮影しようとすると、神木に視野を遮られた。
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社殿としては珍しく、入母屋造の屋根は紅樺色の瓦で葺かれ、軒下は白壁、正面の板戸と板壁はすべて赤紅に染められていた。
拝殿前の狛犬の表情が面白かったので、めったに撮影しない狛犬を久しぶりに撮影した。
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乙川沿いで撮影した狛犬は3体目になるが、吽(うん)の狛犬が顎を思い切りしゃくり上げている。
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拝殿前に上がって参拝したが、祭神は天児屋根命(アメノコヤネ)となっている。
天児屋根命は藤原氏の氏神で、総本社は奈良の春日大社だ。
「由緒」には以下のようにあった。
社名の由来は不明となるが、本来は「春日社」とされ、古くは、女性の病気、婦女子の芸事、縁結びなどにご利益があると言われていたという。
カラスジンジャとしては祭神も漢字表記も異なる「香良洲神社」が存在するが、こちらは祭神をアマテラスの妹である稚日女尊(ワカヒルメ)とし、総本社は三重県の香良洲神社としている。
格子戸から拝殿内を見ると、幣殿と本殿が連なっており、最奥の階段上に本殿の裾が覗いていた。
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拝殿前を降りて、左脇に回ると、本殿覆屋はトタン張り屋根でコンクリート造りの建物だった。
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本殿覆屋の並びには「伊勢神宮遥拝社」の社号標を持つ石祠が祀られていた。
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石祠基壇の最下段には八方を示す白い線が記入されている。
地図でチェックすると石祠の背後が皇大神宮(伊勢神宮)を向いているわけではなく、写真の左手前の線の方向に皇大神宮は位置しているようだ。
皇大神宮の祭神天照大神と加良須神社の祭神天児屋根命の関係は岩戸神話に基づいている。
天照大神が隠れていた岩戸から外を覗いた時、両脇に控えていた神のうちの1柱が天児屋根命だったのだ。
ここまで、乙川沿い中流域には岩戸神話に基づく神社が複数祀られていた。
つまり、ここ加良須神社も、岩戸神話で繋がりのある神社の1社なのだ。
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「お伊勢参りをして香良洲に参らぬは片参宮」と言われ、かつては三重県香良洲町の香良洲神社も参拝者が絶えなかったと言われます。この香良洲神社の祭神稚日女尊も天照大神の妹なので天児屋根命と同じく、天照大神とは関係のある祭神です。「加良須」、「香良洲」ともに香良媛(からひめ)の名前に由来するという説があります。香良媛とは大伴文守が征夷大将軍として香良洲に停泊した際に舞楽を舞ってもてなした人物で、香良媛の舞楽を喜んだ征夷大将軍がその野原に矢を立てて再会を約束し、その野原を「矢野香良洲」と称したと言います。「矢を立てる」という行為は丹塗矢(にぬりや)伝承のように男女を結ぶ行為を示唆しています。そして香良媛の「カラ(香良)」とは「韓(カラ)」からの当て字変更である可能性があります。現代の日本人が「韓」というと「韓国」を連想しますが、「韓」とは、もともと倭人が使用したネーミングなのです。