御用地遺跡 土偶 67:蛇神はどこだ
岡崎市のくらがり渓谷を本宮山頂上に向かって20分ほど歩き、初めて橋を渡ると、男川(おとがわ)は右手に変わり、間も無く、山側である左手に石標が建てられていました。
石標には「くらがり八景 猿飛の岩」のほかに俳句、頭頂に乗っている石のブロックには「山頂へ6.4km」とある。
「山頂」とは「本宮山の山頂」のこと。
「猿飛の岩」とは男川を挟んで対岸にそびえている岩山のことらしく、ここには、その岩山を対岸から鑑賞するための石や木を輪切りにした椅子が置かれている。
ただし、現在はその岩山を樹木が覆っていて、石標のある場所からは猿飛の岩はよく見えなくなっている。
それで、渡ったばかりの橋の脇にそびえる猿飛の岩を観るために橋を渡って戻った。
猿飛の岩と思われる岩山を麓から見上げるが、中腹に積もった土から痩せた樹木が伸び、スッキリとは観ることができない。
色々異なった角度から頂上を見てみると、岩が突き出ているようだった。
麓に近い場所で岩が露出している部分は表面がプレーンで、一瞬人為的な石垣かと思った。
最初に麓を通ってきた時にはこんな岩山だとは気づいていなかった。
麓には大きな岩が落ちている。
その表面には緑の苔と明るい空色の地衣類がペンキを散らしたように繁殖している。
岩山の麓を流れる男川の中にも多くの岩が落ちていた。
「猿飛の岩」に類する名称は各地に存在しているのだが、くらがり渓谷の猿飛の岩に関する情報はほとんど無く、「この岩には大蛇に追われたサルが岩の上から川の対岸まで飛んだという伝承がある」という取って付けたような由来しか紹介されていない。
結局、特に意味の無い岩山のようなのだが、樹木で覆い隠される前には、ランドマークとして名称をつけるだけの目立つ岩山であったことは間違いないようだ。
改めて「猿飛の岩」の石標の場所まで戻って来ると、すぐ先の男川の中に、辿っている山道より高く突き出している巨石が落ちており、その上に頭頂が頭襟型の石標と板碑が建てられていた。
石標には「正一位砥鹿神社」と刻まれている。
これがレイライン上で見つけた石原町の砥鹿神社(とがじんじゃ)だった。
地図にちゃんと表記されている神社なので、社か、少なくとも祠が祀られていると思っていたのだが、意外な神社だった。
「正一位砥鹿神社」石標を社号標と見るなら、板碑の方は一体何なのか。
巨石の上面は平らにカットされているように見えるのだが、猿飛の岩からもわかるように、この地域の岩は平らに剥がれ落ちる節理があるようなので、それを利用してカットしたものなのか、自然に割取られたものなのか。
岩の上面が平らだったので、ここに祀られたのか、あるいは祀るために人為的に平らにカットされたものなのか。
とにかく、この砥鹿神社に関する情報は見当たらないのだ。
板碑の方はこの巨石の上に乗らなければ刻まれた文字が確認できないので、瑞垣内に入るようなものだが、岩の上に上がって板碑の文面を見ることにした。
板碑はちょっとした塚の上に設置されており、3行の文が3本刻まれているのだが、文字はどの文も40%くらいしか読み取れず、3本とも文意を取ることができなかった。
ただ、中央の文には猿飛の岩のことが書かれているようだ。
この板碑は、いずれにしても、石祠や社の代用になるものとは思えず、この状況からは砥鹿神社の祭神がどこに祀られているのか不明だ。
もしかすると、猿飛の岩を神体として祀っている砥鹿神社である可能性もあるが、
それにしては社号標も板碑も猿飛の岩の方を向いていないのだ。
あるいはもともと存在していた石祠や社が失われた状況なのだろうか。
社号標の乗っている巨石を社号標の側面側から見たのが以下の写真だ。
この岩があることで、岩と堤防の隙間には流れてきた枝葉が引っかかって、堆積している。
そして、この巨石には天地の中央に水平に割れる節理の溝がすでに入っていた。
巨石の下まで降りてみると、水量が少ないので、巨石の底は男川の水面には接触していなかった。
再び巨石の上に乗って上から男川を見下ろすと、対岸には巨大な一枚岩が露出していた。
これ以上、現場で確認できるものは存在しないのだが、砥鹿神社の祭神は総本社の砥鹿神社では大己貴命(オオナムチ)となっている。
大己貴命は蛇神だが、『ホツマツタヱ』はヤシマシノミノオホナムチ(大己貴)を初代大物主としている。
つまり、「大物主」は個人名ではなく、役職名としているのだ。
それはともかく、どこに向かって参拝すればいいのか不明だったものの、石原町 砥鹿神社の現場は確認することができた。
石原町 砥鹿神社が存在することから、中条遺跡(刈谷市)、御用地遺跡(安城市)とレイラインが繋がったのだが、石原町 砥鹿神社が祀られる前の時代に猿飛の岩と結ばれていた可能性もある。
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石原町 砥鹿神社への道程は急な坂道は無かったものの、20分以上登ったことで、革ジャン内のTシャツは汗だくになってしまいました。
くらがり渓谷から革ジャンの中に風を通しながら、新城市(しんしろし)の貴舩神社(きふねじんじゃ)に向かいました。