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今朝平遺跡 縄文のビーナス 29:本殿を祀った石垣
愛知県豊田市大島町の八坂神社から巴川右岸(北岸)に沿って北東に向かう県道39号線に戻り、上流に向かうと、豊田市近岡町の追分交差点で国道153号線と国道420号線を兼ねる道(以下「153号線」)に代わるものの、そのまま巴川右岸に沿って上流に向かう道に入り、北西35km以内に位置する近岡町の神明社に向かいました。この神明社は社地が母親の実家に向かう153号線に面しているので、何度も参拝している神社です。
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近岡町 神明社は153号線の足助新橋北交差点の北側の角地に面しており、交差点の西側に面して、神明社の専用駐車場なのかは不明だが、広い空き地になっているので、いつもそこに愛車を入れている。
社頭は153号線ではなく、153号線と交差しているマイナーな表道路に面しており、社地と一般道の間には鎖が張ってあるのみで、立派な注連縄の張られた石造神明鳥居が南西を向いている。
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その石鳥居の手前の右脇、表道路に面した場所には「村社 神明社」と刻まれた社号標が設置されている。
参道は特に設けられてなく、石鳥居の奥、正面には社叢と御手洗いの建物があるのみだ。
鳥居の左奥に対になった狛犬と常夜灯が見えている。
狛犬の方に向かうと、拝殿に向かって架かっている橋の袂に常夜灯は位置している。
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橋の向こう側には吹きっぱなしの拝殿、その屋根越しに立ち上がっている本殿が見えている。
橋は皇大神宮に倣ったのか、板橋になっているが、欄干は大人を支えられないくらいの細い角材を組んだ質素なものだ。
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その手すり部分は、ちゃんとカマボコ形の断面に加工されている。
ただ、桟は1本しか通してなく、幼児の落下を防ぐために、これも、掴かんでも役に立たないくらい細いロープが1本だけ通してある。
まあ、子供は近づけない方がいい橋なのだが、祭の時はどうしてるんだろう。
欄干の根元には素木の角材が通してあり、その小口に楕円形が凹刻されているのだが、その意味は不明だ。
橋上から下流側の近岡洞(ちかおかぼら〈洞=谷川〉)を見下ろすと、現在は埋め立てられ、深さは1.2mくらいしかなく、川床、高水敷、護岸のすべてがコンクリート化され、水深も5cmくらいしかなく、橋から落下しても水死ではなく、打撲か骨折になる状況だ。
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すぐ下流を国道153号線の橋が横切り、そのすぐ先で合流する乙川に向かっている。
河川名に「洞」を含む河川は東隣の足助町にも「細洞川(ほそほらがわ)」が存在する。
「洞」の付く地名としては、ほかに以下の3種類の地形があるとされている。
(1)海岸などの岩穴や鍾乳洞に起因するもの、または洞窟そのもの
(2)民家のない深山幽谷の谷・沢または川
(3)山から小さな谷が流れ落ち、そこにできた特に山側に窪んでみえる扇状地またはそこにできた集落
橋を渡ると目の前は砂地で基壇上に瓦葺切妻造妻入で、壁は腰板のみで吹きっぱなしの拝殿が設けられている。
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拝殿前に上がって参拝したが、この神社に関する情報は無く、祭神は天照大神であることしか分からない。
拝殿の正面奥には石段が立ち上がっているが、石段の両袖には途中まで明治期以前に築造されたものと思われる石垣が左右に延びている。
石段まで拝殿を迂回すると、両側の石垣の石が丁寧な組み合わせがなされていることがよく解る。
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石の表面を平らに仕上げるのではなく、削った線をマチエールにしているのが魅力的だ。
この神社で最も好きなものがこの石垣なのだが、この神社に頻繁に参拝に寄っているのは、通り道であることも要因だが、この石垣と触れたいのがもっとも大きな要因になっている。
ヘッダー写真で分かるようにに、石段に面した側に寺勾配(てらこうばい:石垣の反り)が設けてある珍しい処理がされ、手前側には扇形の石が1コだけはめ込まれている。
おそらく石臼の石を流用したものではなかと思われるのだが、周囲の石をその石に合わせて同じ円弧で削り、見事に組み合わされている。
もう一つ、一番上の段の石だけがコンビニの冷蔵庫の缶ビールのように後ろから押されて手前に少し突き出てきている。
これは石段の上に人が上がるのに従って石垣の上面の土が踏まれ、石に圧力をくわえているのが原因だ。
石の突き出しが多くなると、いつか土砂降りで土が流れて、最後には石垣から外れるのだろう。
それはともかく、ここの石段を登りきったすぐ先に本殿を納めた、総素木造で吹きっぱなしの覆屋が立ち上がっている。
石段を上がると目の前に観音開きの瑞垣が締め切られていて、屋内に柿葺(こけらぶき)神明造を簡略化した総素木の本殿が祀られている。
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本殿の左手(北側)には脇に境内社稲荷社、その左隣にはおむすびを刃物でカットしたような石が基壇上に祀られているが、この石に関する情報は無い。
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一方、本殿の右側(南側)には稲荷社とまったく同じ規格の境内社が祀られているのだが、表札が無く、不明の社だ。
実は本殿の祀られている石垣上には南側に脇参道の石段が設けられていて、その石段の途中から撮影したのが以下の写真だ。
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本殿覆屋は神明造ではなく、流造の体裁をとっている。
本殿から降り、橋を渡って社地の北西の端に奉られた大きくてプレーンな石祠を見に行くと、石祠内には三面六臂(さんめんろっぴ:三つの頭に六本の腕)の馬頭観音が奉られている。
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この石祠は新しいもので、近年になって持ち込まれたもののようだ。
神明社の面する153号線は長野県飯田市に続く旧街道だったので、多くの馬が寿命を迎えた街道であり、多くの馬頭観音が奉られている。
中央の馬頭観音の頭部には獣の頭部が浮き彫りされているのが分る。
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実は上記馬頭観音の右隣には馬頭観音と同じ規格の石祠が設置されていて、祠内には地蔵菩薩が奉られているのですが、これは以前から奉られていたもので、おそらく、馬頭観音が持ち込まらた時に、同じ規格の石祠が設けられたものだと思われます。GoogleMapにはこの地蔵菩薩だけが「藤ノ木地蔵尊」として表記されています。「藤ノ木」とはこの地の字名です。