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御用地遺跡 土偶 77:岩倉神社の磐座

刈谷市中条遺跡と安城市御用地遺跡を結ぶレイライン上、東方向の愛知県内最後の場所、新城市岩倉神社へ向かいました。
直前に参拝した新城市石座神社(いわくらじんじゃ)と読みは同一ですが、当て字の石座神社と違い、岩倉神社は素直に「いわくらじんじゃ」と読めます。

●御用地遺跡 土偶

1MAPレイライン

県道439号線に面した里山に広がる三菱電機の大工場街の中を抜けて、西から東に向かうと、岩倉神社が面している真新しい道路の交差点にたどり着きましたが、社殿らしきものが見えない。

2MAP岩倉神社

歩道に愛車を置いて、谷底を覗くと30m近く下方に、珍しい白鳥居と社殿らしき建物が見えました。
下記写真はスイッチバック式のスロープを途中まで降りて撮影した岩倉神社の杜。

1岩倉神社杜

実際には岩倉神社が谷底にあるのではなく、道路の方が山の尾根と尾根を結ぶように通っており、岩倉神社は山の麓に祀られていたのだ。

スロープを徒歩で下まで降りると、白っぽい神明鳥居があり、両手前の対になった常夜灯も、向かって右のものは石の素地がほとんど露出しているものの、左の常夜灯は日陰だからななのか、白いペイントがほとんど残っている。

2岩倉神社杜鳥居

右手前に設置された社号標には「岩倉神社」とある。
鳥居の正面奥には入母屋造の社殿が見えていた。

鳥居をくぐると、境内には途中から白くて大きめの砂利が敷き詰められ、正面に見えていたのが鉄筋造の拝殿であることが判った。

3拝殿

拝殿前で参拝したが、境内には案内書などの掲示は無く、どんな神が祀られているかは不明だったが、その時は石座神社と社名が共通していることから、祭神も共通している可能性があるのだろうと考えていた。
実際、後日ネット情報をチェックしてみると、両社の一部の祭神は以下のように共通していた。

《大宮狐塚 石座神社》  《大宮 岩倉神社》
・天之御中主尊      ・天之御中主命
・天稚彦命        ・ 市木島比賣大神
             ・大山祇神
             ・素盞嗚尊
             ・天稚彦命
             ・伊弉册命
             ・倉稻魂命

天之御中主尊(アメノミナカヌシ)と天稚彦命(アメノワカヒコ)の2柱だ。
岩倉神社には市木島比賣大神(イチキシマヒメ)と伊弉册命(イザナミ)、土偶と関わりのある可能性のある女神二柱が祀られていた。

拝殿内を見ると、渡殿の入り口左右に五色の幟が立てられており、その頂点に、向かって左には竹筒のような装飾物、右には輪になった藤籠のような装飾物が掛かっていた。

4拝殿内

五色の幟は密教を示すもので、ここが神仏習合していた可能性のあることを示しており、2種類の装飾物は以下のように陰陽を示すものだろうが、一般的には月日の装飾が用いられる。

=陰=月
=陽=日

渡殿の奥の左右の白壁には長提灯の神前燈が掛かっている。
白壁も仏閣に使用されるものだ。
本殿は旧いもので、流造らしく、入り口の両脇には御幣が立てられていた。

拝殿の左脇に回ると、社殿の外側はトタン張りになっており、本殿は銅板葺切妻造平入の覆屋に収められていることが判った。

5本殿覆い屋

渡殿と本殿覆屋は石垣を巡らせた土壇上に設置され、覆屋はブロック塀で囲われている。
このブロック塀下左手の境内の隅には水路が引き込まれており、水の張られた小さなプールが設けられていた。
その水面にアメンボが数匹いて、そのアメンボを撮影しようと30カットほど撮影してしまったが、動きが素早く、ピントのシャープな撮影はできず、肝心のプールの撮影をするのを忘れてしまった。
ヘッダー写真はアメンボの写真の1カット。
このプールは石座神社の祭神市木島比賣大神(イチキシマヒメ)に関係するものではないかと思われる。

ところで、2mほどの高さの本殿覆屋のブロック塀の外側には三州瓦の小祠が並んで祀られていたが、その社名や祭神に関する情報は無かった。

6小祠

本殿覆屋とブロック塀の間は通路になっていたので、奥に入って行ってみると、覆屋の裏面を通り抜けて東側に抜けられるようになっていた。
裏面のブロック塀も高さは2mほどだったので、背伸びして本殿の裏面に当たる場所で塀の外側を覗いたところ、注連縄の掛けられた巨大な磐座(いわくら)が存在していた。

7磐座

「岩倉」という社名や大宮 石座神社に石座石(いわくらいし)があったことから、岩倉神社の境内に磐座が存在する可能性があることは意識して、この境内を観てきたのだが、予想は見事に的中した。
しかし、ブロック塀で遮られていることから、一般の参拝者がこの磐座の存在に気づくことはないだろう。
注連縄の掛けられた部分の岩の表面の半分は青磁鼠色の地衣類に覆われていた。
この磐座が独立した巨石なのか岩山の一部なのか、塀越しでは近すぎてよく分からなかったので、本殿覆屋の東側の通路からブロック塀の外側に出て、土手を奥に回ってみた。
磐座の右端から撮影したのが下記写真だが、どうも独立した巨石のようだ。

8磐座

中央の高くなった山の形をした石で、中央部に上方と前部に向かって少し突起部がある。
周囲はマムシでもいそうな草原になっており、磐座に近づく気にはなれなかった。

裏面がどうなってるか見たかったので、回ってみようとしたのだが、裏面も笹原になっており、踏み入る気にはなれず、側面からのぞいたのが下記写真だ。

9B磐座裏面

裏面はこの磐座が岩山の一部でなく、独立して地面に乗っている石であることが明快に判るものだった。
小さな岩が1コ、裏面に落ちていた。

ふたたび表側に戻って磐座を遠くから観察しているうちに、クジャクゴケで覆われた磐座表面に真夏だというのに葉も茎も深緋色に紅葉したかのような蔓性の植物が磐座を伝っているのに気づいたので、それを撮影したくて、思わず磐座の前まで踏み入ってしまった。

10B植物

葉は肉厚だが、長辺が1cmしかない小さな植物だ。
ネットの複数の蔓性植物図鑑で調べてみたが、樹種は特定できなかった。
そして、蔓性植物も非常に種類が多いことに驚かされた。

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この地域にアメノミナカヌシとアメノワカヒコというご利益のはっきりしない旧い神が祀られているのは謎ですが、大宮狐塚 石座神社も大宮 岩倉神社も磐座に対して祀られた神社ということから、抽象的な古代の神が祀られたのかもしれません。

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