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御用地遺跡 土偶 44:遷座した蛇神

安城市新田町(しんでんちょう) 市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)の檜林の前を抜け、表参道を奥に向かいました。

●後頭部結髪土偶
1MAP市杵島姫神社

檜林の中には表参道に向かって巨石を組み合わせた塚が設けられ、5月も下旬ということで、植えられたサツキの花が終りかけていた。

1新田町 市杵島姫神社さざれ石

中央の加工された石碑には「さざれ石」と白い文字で記されている。
その後に見たことのないタイプの白・利休鼠・黒緑と明快な3色だけで構成された、石灰質としか思えないさざれ石に注連縄が掛けられ、設置されていた。

2新田町 市杵島姫神社さざれ石

おそらく岐阜県産だと思われる。
さざれ石を見たことがなくても、「さざれ石」という言葉は日本人なら誰でも知っているし、海外の人間でも日本のアニメ・漫画ファンで、日本語に興味があり、サッカーの試合を見る人間なら、知っているかもしれない。
日本の国歌『君が代』に出てくる言葉だからだ。

イザナ  モモヒナ
イザナ  モモヒナ

神道では『君が代』の『キミ(君)』の語源は日本神話に登場するイザナキ・イザナミの語尾の「」と「」を連ねたものと説明されている。
一方、縄文時代の文化を記録したものと言われる『ホツマツタヱ』によれば、ひな祭りにおいて、ひな壇の最上段に祭られる男雛と女雛の最初の人物の幼名モヒナキとモモヒナミの語尾の「キ」と「ミ」を連ねたものと説明されている。
モモヒナキとモモヒナミの成人した名はウビチニとスビチニだが、なぜ幼名から取っているかというと、ひな祭りの「ひな(雛)」とは「成鳥になる前の鳥」のことだからだ。
つまり、男雛と女雛は結婚する直前のカップルなのだ。

日本神話の天地開闢(かいびゃく)の時、七代(ななよ)の神十二柱が生成したが、ウビチニ・スビチニ、イザナキ・イザナミの四柱はその十二柱のうちの四柱であり、日本史上最初の男神と女神がウビチニ・スビチニ、十二柱の神のうち最後に生成した神がイザナキ・イザナミだった。
タイトルの「君が代」とはイザナキ・イザナミ、あるいはモモヒナキとモモヒナミの子孫の世の中を意味している。

さざれ石の祀られた檜林の前を通り過ぎると、境内は開け、瓦葺入母屋造平入の拝殿前に出た。

3新田町 市杵島姫神社拝殿

拝殿直前の石段は、ここまで矢作川(やはぎがわ)西岸で巡ってきた神社の中で最多の6段となっており、格の高さを感じさせるたたづまいだ。
拝殿の正面はこの地域の主流になっている舞良戸で覆われている。
拝殿の左側に社殿、右側に境内神社が並んでいる。
拝殿前に上がって、参拝した。
この神社が異例なのは拝殿前の石段の多さだけではない。
社頭には『由緒略記』が掲示されていたのだ。
『由緒略記』には祭神に関して「市杵島姫命(水の守護神)」とあった。
拝殿の屋根の降棟の鬼飾りには三盛亀甲(みつもりきっこう)に剣花菱(けんはなびし)の神紋がレリーフになっていた。

4新田町 市杵島姫神社神紋

この神紋は厳島神社の神紋と同じものだが、厳島神社の主祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)一柱のみではなく、田心姫命(タゴコロヒメ)と湍津姫命(タギツヒメ)を含めた宗像三女神(むなかたさんじょしん)となっている。

5新田町 市杵島姫神社神紋

亀甲に剣花菱を三つ重ねた三盛亀甲に剣花菱の神紋が意味するものは三柱の姫神だが、亀甲内の剣花菱が意味するものは宗像三女神の両親に当たるアマテラス(花)とスサノオ(剣)だ。
花がアマテラスを意味するのは伊勢神宮の神紋にも反映されている。
出雲大社神紋の4枚の花びらの間にある4本の剣(延びた菱形)は草薙剣を手に入れた人物スサノオを表している。
また、「亀甲」という名称は六角形が亀の甲羅に由来して名付けられたが、出雲大社の神使とされているセグロウミヘビの鱗も六角形で、出雲大社の神紋はセグロウミヘビの鱗から取られたものだ。
そして、宗像三女神が蛇神であることも表している。
『日本民俗文化資料集成 20 蛇の民俗「龍蛇さんのすべて」』(上田常一)には出雲地方では、海岸に打ち上げられたセグロウミヘビを「龍蛇」として出雲大社に奉納するとともに、民家でも神棚に祀る習慣が残っていることが記されている。

出雲大社本殿の裏面(神社では本殿が祀られる前に祀られていた社が配置される場合がある)には須佐之男命を祀った出雲神社(素鵞社)が祀られている。

本殿を見ようと、拝殿の西側に回ると、拝殿の妻側には菊花、滝、波、双龍の浮き彫りが装飾されていた。

6新田町 市杵島姫神社妻飾

その中で、補助的な装飾として扱われることの多い波をメインにした装飾は珍しいものだ。

渡殿で拝殿と繋がれている本殿は銅板葺流造の鉄筋造だったが、屋根に乗っている千木(ちぎ)は外削ぎ、鰹木は5本(陽数)で、ここの主祭神市杵島姫命を表すものではなく、男神を表すものになっていた。

7新田町 市杵島姫神社本殿
8千木/鰹木

その事情は不明だ。

ここに市杵島姫神社が祀られた「由緒と沿革」が『由緒略記』に記されていた。

旧安城村大山田溜池新池との間の間の小島に弁財天を祀れる祠あり
元禄二年正月九日本村(現東尾西尾)より出郷へ移住する人あり其の後移住記念日として男子十四才に至れば正月九日神前に於て元服する慣例あり大字安城字出郷村民我が部落に氏神無きを憂い本村へ請願し社殿を現在の地に創立
元禄十二年八月十九日大山田に鎮座す弁財天を遷座し奉る
明治維新以降神仏混淆の禁令により社名を現在に改める
明治五年十月十五日村社に列し後神饌幣帛料供進神社に指定せらる
昭和二十八年六月二十日神社本庁所属の宗教法人となり現在に至る

ここにやってくるきっかけになった「弁天前」という字名から推測した弁財天のあった場所に関しては推測は外れていた。

『由緒略記』によれば、弁財天は弁天町ではなく、最初に予測した安城大池(大山田溜池新池と関係があるとみられる)の北側に祀られていたようだ。
なぜなら、現在の安城大池の北側に「大山田上」という字名があるのを地図上に見つけたからだ。

2MAP大山田弁財天

『由緒略記』にある「大山田」とは「大山田上」の南側にある安城大池を含む地域だと思われる。
大平寺は弁財天が現在の市杵島姫神社に遷座した後に創建されたものとみられる。

拝殿の東側に回ると4社の境内神社が祀られていた。

9境内神社

『由緒略記』には以下の4社が記載されている。

神明社 王子稲荷社
秋葉社 津島社



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この後、市杵島姫神社内で弁財天が祀られている場所に遭遇することになりました。

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