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麻生田町大橋遺跡 土偶A 92:水のオブジェ
豊川市金沢町 神明社の社頭から東に向かって牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)に戻り、牟呂松原幹線水路右岸(西岸)に沿った農道を南下して、「荒神場」と「下鳥居」いう地で南北に2分されている橋に出ました。おそらくこの周辺には荒神社、もしくは荒羽々気神社(あらはばきじんじゃ)が祀られていたのでしょうが、現在は残っていないようです。
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金沢町荒神場の橋上から上流側〈上記地図内(1)〉を撮影したのが下記写真。
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牟呂松原幹線水路の水量は多く分割壁は水没している。
ただ、牟呂松原幹線水路と上記写真右端の細い水路との間の分割壁は高いので露出しており、
そこに鴨が1羽立っていた(上記写真右手前)。
上記写真右手の純白のビルとその手前の切妻造の和風建築はケアハウスの関連施設らしい。
周辺の自然環境が豊かで不動産としては低価格な場所であることから選ばれた土地なのだろう。
同じ橋上から下流側〈上記地図内(2)〉の金沢町下鳥居(したとりい)を見ると、先で水路は左手にカーブしている。
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上記写真手前を左右に横切っている鉛管は左手に位置するケアハウスの排水管のようで、おそらく豊川に放出しているのだろうと思われる。
上記の橋から下流150m以内に位置する橋も北側は金沢町下鳥居(したとりい)、南側は金沢町竹下に所属し、橋が2分されている。
その橋上から上流側〈上記地図内(3)〉を撮影したのが下記写真。
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上記写真中央奥に見える森が神明社。
「下鳥居」という地名は神明社の鳥居に由来する地名である可能性がある。
左手遠方に見えるのが本宮山だが、本宮山の山頂下には荒羽々気神社が祀られている。
下流側〈上記地図内(4)〉を撮影したのが下記写真。
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下流に見える橋までは70mあまりしかない。
橋の向こう側に立ち上がっている低山は小黒山だ。
上記写真に見えている橋も北側が金沢町竹下、下流側東側が竹下、南側が金沢町柿ノ木と3地に所属している。
しかも上記写真下流側の大部分は金沢町市川に所属している。
牟呂松原幹線水路がカーブしているために、土地の分割が複雑になっているようだ。
上記写真に見えている橋から下流側の金沢町市川〈上記地図内(5)〉を撮影したのが下記写真。
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ここには太い排水管が3本通っている。
ここから下流130m以内の金沢町市川には、これまで遭遇してきた樋門とは異なった構造を持つ樋門が存在した。
上流側から眺めた樋門は牟呂幹線水路と松原幹線水路の2枚の水門がセットになっており、以下の写真のようにこれまで遭遇してきた樋門とさほど変わった印象は無かった。
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しかし、サイドに回り、下流側から眺めると、双方の水門に重量挙げのバーベルに取り付けるような円盤状のプレートがそれぞれ5枚づつセットされており、明らかに水門を楽に上げるための装置になっていることが判った。
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そして、その可動装置の部位だけが白銀色にペイントされ、「機械」というよりも現代的な「装置」のイメージが強調されていた。
現代アートの作家で自然と一体化する風や水で可動する立体作品を50年以上に渡って制作し続けてきた新宮晋氏のオブジェを想起させるところがあった。
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しかし、それは水路にセットされた装置であることによるイメージに過ぎず、明らかにモーターで可動させるもので、水で可動させるどころか、逆に水の圧力で稼働しにくい水門を重力を利用して可動させやすくる装置だった。
従来の水門と比較すると、設置に3倍くらいの面積を必要とし、可動部分が大きいことによる危険性があるが、可動コストは低く抑えられる樋門だと思われる。
樋門下流では牟呂幹線水路側の水路から水が溢れ、分割壁を超えて松原幹線水路側に水が落ちていた。
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ここから下流160mあまりに位置する次の橋までは牟呂松原幹線水路とその周辺環境にほとんど変化が無く、ほかの橋も存在しない。
その橋に移動すると、県道381号線の渡っている大きな橋〈上記地図内(6)〉だった。
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上記写真奥が左岸(東岸)。
大きな橋だが橋名のプレート表示は無く、ネットで調べたが、用水に架かった橋だからなのか、ネットにも橋名の情報が見当たらなかった。
この橋上から上流側の金沢町櫛田〈上記地図内(7)〉を撮影したのが下記写真。
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上記橋を下流側から見ると橋下〈上記地図内(8)〉で、ここまで牟呂松原幹線水路の東側に並走してきた小さな水路に東側から大きな用水が合流しているのが見て取れた。
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地図で確認すると、この橋の北東70m以内に長辺190mの溜池があり、そこから、この橋下に流れ込んでいるようだ。
この橋下から牟呂松原幹線水路の分割壁が水上に明快に露出している。
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風で動くアートとして圧倒的に面白いと思ったものに以下の「ストランドビースト」が存在します。