今朝平遺跡 縄文のビーナス 55:立石
豊田市王滝町の王滝渓谷に架かった王滝橋を右岸に渡り、仁王川沿いの遊歩道を降りました。
仁王川沿いの道を少し下ると、仁王川に流れ込む水路に架かった鉄橋に出た。
しかし、鉄橋はそのまま、仁王川下流に延びており、鉄橋というよりは人為的な遊歩道になっていた。
鉄製の遊歩道上から仁王川を見下ろすと、巨石が折り重なっており、水路はまったく見えない状態だった。
こんな巨石が川筋に折り重なった例は大阪府交野市の磐船神社でしか見たことがない。
上記写真眼下手前の巨石は上面が真っ平らで、人為的に平らにしたものとしか思えなかったが、切り出した痕跡は皆無なので、自然にこうなったのだと思われる。
不思議なのは、この巨石は向こう側の側面から角が丸くなった小型の石を卵のように産もうとしているように見えることだ。
小型の石がこの巨石に食い込んでいるために、平らな面の縁が盛り上がって波打っている。
この部分は人為的に平らにしてから波打足せるのは無理だから、地中で柔らかかった巨石に複数の硬い石が押し付けられて、一体になってから一緒に地表に出てきたのだろうと思われる。
そこから少し下ると、折り重なった巨石は姿を消し、白濁して流れる水面が現れたが、その川岸に発車前のロケットのように立っている巨石が現れた。
上記写真は巨石の東側から見下ろしたところだ。
少し下流に移動して北側に回ると、鏃(やじり)のように頭頂が尖った形に見えた。
遊歩道から外れる形で土が盛られている場所があるので、その盛土の端まで出て、その巨石の足元を覗き込んだ。
根元部分は直方体になっており、こちら側の角は直角に見える。
全体は四角い鉛筆を削って尖らせたような形で、立石(たていし)と呼んでいい形をしている。
さらに北西側に回り込むと、ノミの刃先のように平らに尖っているように見える。
鉄製の遊歩道は終わって山道となり、仁王川の土手に巨石の立っている河川敷に降りて行ける通路があったので、巨石を足元から観るために、それを下った。
立石は西側から観ると、表情は一変した。
プレーンなイメージは無く、自然石そのものだ。
遊歩道から見下ろしていた部分はツインタワーの片側だけを見ていたことが判った。
そして、もう片側のタワーは中腹で割れ落ち、仁王川の河原に転がり落ちたのだろう。
残っているタワーも割れ落ちた中腹と同じ高さの部分に、すでに横の割れ目が入っている。
上記写真のように、西側から見ると、割れ目は十字形に入っていたことが解るが、残っている向かって左のタワーの右面の割れ目側は真っ平らで、自然にでも真っ平らな面ができることが解る見本になっている。
さらに南側に回り込んで眺めると、立石というよりはオニギリ型の石であることが判った。
立石に見える巨石の麓から遊歩道上に戻ると、遊歩道は不動山の麓の土手を通る形になった。
遊歩道の下り部分は蹴上げ部分に2本の丸太を組み、踏み面をコンクリートでたたいた、丁寧な階段が設けられている。
階段脇には海底由来であれば砂岩ぽい、火山由来であれば凝灰岩ぽい、ヒキガエルのような巨石があったが、この石も縦横に割れ目が入っており、複数の巨石に分解する直前に見える。
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日本列島には2017年の気象庁調べによれば、111ヶ所の活火山が存在します。現在の愛知県に活火山は存在しませんが、奥三河では約1,500万年前に設楽火山(したらかざん)が大規模な噴火をしています。設楽火山の噴火でできた鳳来寺山は王滝渓谷の東南東32.5kmあたりに存在しますが、王滝渓谷は場所的には海で堆積した泥岩や砂岩、礫岩などからなる地層が主なのでしょうが、設楽火山の噴火による火山岩が存在していても不思議ではないでしょう。