伊川津貝塚 有髯土偶 40:神宮の荒魂
愛知県北名古屋市西之保(にしのほう)の十所社から春日小牧線で直線距離で北々西ほぼ1.5kmに位置する北名古屋市法成寺の八剱社(はっけんしゃ)に向かいました。
八剱社は春日小牧線の西側に面していた。
社頭は南側にあって、社頭沿いには東西に延びる暗渠があり、表道路に面して「村社」を消し、「八剱社」と刻まれた社号標が設置されている。
異例なことに表道路から数メートル引っ込んだ場所に寺院スタイルの石門が設けられており、鳥居はさらに10mほど奥に設けられていた。
愛車を社頭脇に駐めて、細かな砂利の敷き詰められた表参道を進んで石鳥居の前に到達。
鳥居の正面奥60mほどの場所に拝殿らしき社殿が見えるが、その手前に蕃塀(ばんべい)があるようだ。
鳥居をくぐって参道を進むと、40mほどの場所に鳥居から見えていた石造の蕃塀があった。
この蕃塀に関しては詳しい調査がされており、『蕃塀マニア』ウェブサイトに紹介されているので、興味のある方は以下を参照。
最低限の情報だけ以下に抜粋した。
蕃塀を迂回して蕃塀を背にして拝殿を撮影したのが以下の写真。
拝殿は瓦葺切妻造棟入で吹きっぱなしの社殿だが、壁に当たる部分が格子の吹き抜けになっている。
拝殿の奥の石垣を組んだ基壇上には左右に廻廊が延びていた。
拝殿内を見てみると格子の吹き抜け壁が和モダンな印象で、やはり格子を通した光が床に差し込んでいるのも“自然”が殿内に取り込まれているようで、美しい。
拝殿を迂回して拝殿の奥側に回り込むと、正面の土壇上に男神を示す5本(陽数)の鰹木と女神を示す内削ぎの千木を乗せた祭文殿が設置されており、葺かれた屋根と木部が共通して栗色に染められている。
祭文殿と拝殿は同じ吹き抜けの格子で統一されており、廻廊部分の窓は連子窓になっていた。
拝殿前で参拝したが、祭神と由緒に関しての情報は境内には無く、『蕃塀マニア』ウェブサイトに以下の情報があった。
祭神は男神3柱と女神2柱の組み合わせで、それが鰹木(男神)と千木(女神)に反映されているとみることができる。
「八剱」とは「ヤマタノオロチの八番目の尾から出た剱=草薙神剣」を意味するとみるしかないのだが、現在の祭神には草薙神剣の関係者が1柱も含まれていないのはどういうことなのだろう。
現在の祭神のラインナップを見てみると、「八剱」とは関わりの無いイザナギとその関係者4神をピックアップして、もっとも格の高い天照大神を筆頭に持ってきて祀った内容になっている。
つまり、内容的には皇大神宮や神明神社のようになってしまっている八剱社なのだ。
しかし、なぜこの5神になったのかという情報が見当たらない。
拝殿前から拝殿左手(西側)に回ってみると、本殿は神明造りで、祭文殿の屋根はこの本殿の屋根に倣ったものだった。
祭文殿、本殿ともに鰹木には熱田神宮の類型神紋である丸に桐竹が金箔押しされて装飾されていた。
桐竹の示す数字は「5・7・5」(五三の桐に5葉の竹)で、すべて陽数だ。
改めて、八剱社の総本社がどうなっているか見て見よう。
八剱社の総本社は熱田神宮別宮の八剣宮(はっけんぐう)である。
熱田神宮の社頭も南にあって、入り口を入ると広場があり、その広場の北側に素木造の大鳥居が存在し、この鳥居から本宮に向かう表参道が北に向かって延びている。
しかし、八剣宮は大鳥居をくぐらずに左方向(西)に向かうと、熱田神宮別宮の5社が祀られた広場が存在し、そのもっとも北側に熱田神宮本宮と同じ南向きで以下の写真のように別宮八剣宮が祀られている。
その神門と別宮八剣宮本殿堂、そして熱田神宮の鰹木と千木は以下のようになっている。
法成寺 八剱社の鰹木だけが男神、他はすべて女神を示している。
意外だったのは熱田神宮と別宮八剣宮の主祭神が神体を草薙神剣とする熱田大神であり、私の古い記憶では主祭神を日本武尊と説明されていた記憶があることから、個人的に主祭神を男神だとばかり思い込んでいた。
そして、神紋は陽数(男神)でまとめてあるのに社殿は一切、男神を示していないからだ(記憶当時の社殿は現在の社殿と異なっていた可能性もあるか)。
この疑問を解かなければ、法成寺 八剱社の違和感に取りかかれない。
熱田神宮では一つ気になることがある。
平成になってから、熱田神宮の本殿より奥に一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)が祀られたのだ。
その祭神は天照大神の荒魂とされている。
出雲大社の本殿(大国主大神)より奥に素戔嗚尊を祀った素鵞社(そがのやしろ)が存在するのと同じパターンなのだが、出雲大社の大国主大神と素戔嗚尊は義理の親子関係にある。
しかし、天照大神の荒魂と熱田大神(草薙剣)の間には神話の中でも直接の関わりが存在しないのだ。
ただ、草薙剣は手に入れたスサノオが姉のアマテラスに献上され、その管理を任された倭姫命(ヤマトヒメ)を通じて東征に向かう日本武尊に渡されることになっている。
ところで、、熱田神宮に天照大神の荒魂が祀られているのは伊勢神宮に荒祭宮(あらまつりのみや:天照坐皇大御神荒御魂)が祀られていることと同義とされている。
天照坐皇大御神荒御魂(アマテラシマススメオオカミノアラミタマ)とは天照大神の荒魂のことだ。
個人的な解釈にすぎないが、伊勢神宮、熱田神宮の両神宮にアマテラスの「荒魂」が祀られていることには意味があると思われる。
「荒魂」の指すものの代表的なものが天災ではないかと考えている。
伊勢神宮内宮が度々洪水に見舞われてきていることから荒祭宮が祀られた可能性があると思われる。
伊勢神宮に式年遷宮の習慣が今も残っているのは天災に見舞われる社殿を再建するための技術を継承するためだったのかもしれないのだ。
熱田神宮はそれに倣って、東日本大震災後になって一之御前神社を最奥に祀った可能性も考えられる。
ちなみに、度々洪水に見舞われてきている伊勢神宮内宮より熱田神宮は標高が低いのだ。
そして、現在の熱田神宮の社殿の示しているものは天照大神の荒魂だと推測できるのだ。
あるいは熱田大神の本質が日本武尊から天照大神に変更されたとも考えられる。
話を法成寺 八剱社に戻すと、
熱田神宮別宮八剣宮に祀られているのは以下の神だ。
法成寺 八剱社に祀られた五柱のうち、熱田神宮別宮八剣宮と重なっているのは天照大神のみだ。
そして、法成寺 八剱社の祭神のラインナップは熱田神宮別宮八剣宮の神のラインナップとは違い、草薙神剣(熱田大神)を否定しているようにみえる。
それは現在の熱田神宮の主役が日本武尊から天照大神に変更されたことに倣っているからなのかもしれない。
そして、熱田神宮別宮八剣宮では日本武尊の関係者の神々が相殿に残されているように、法成寺 八剱社は鰹木だけ陽数にして日本武尊の残影が残されたものなのかもしれない。
◼️◼️◼️◼️
法成寺 八剱社にやってきたことで、とんでもないことに気づいてしまいました。単なる妄想で終われば良いでのですが。それに、熱田大神がアマテラスなら、愛知県人がわざわざ伊勢神宮に参拝に行く理由ってあるのでしょうか?いや、実際、愛知県人が伊勢神宮に行った話って聞いたことがありません。