麻生田町大橋遺跡 土偶A 83:烏天狗は鷲の精霊だった
愛知県岡崎市の渡八幡宮(わたりはちまんぐう)から、渡八幡宮の西側を南北に延びている道を北上して、北北西300mあまりに位置する岡崎市渡町の愛宕神社(あたごじんじゃ)に向かいました。
愛宕神社は広大な畑地の一角に位置していた。
境内を取り囲む玉垣などは無く、社地の南端に近いところに1対の幟のための控柱と添柱がセットで設置され、控柱の10mあまり奥に石鳥居と、その右手前に社号標。
鳥居の奥10m以内に瓦葺の社殿が見えている。
社殿の西側には複数のカラフルな遊具が並んでいて、境内内の公園になっている。
境内は粘土質の土で覆われ、石鳥居の手前には特に参道は設けられていない。
対になった控柱の間を抜けて社号標前に至ると、立派な基壇を持つ社号標で、「愛宕神社」と刻まれている。
石鳥居は台輪鳥居で、この地域標準の立派な注連縄が張られている。
石鳥居の間からは石畳の参道が数メートル延び、その先には2段の石段があり、社殿前の黒っぽい玉砂利を敷き詰めたプールの中に入れるようになっている。
石畳の入り口部分を見ると、岡崎御影石の縁に矢穴(石をカットするために開ける溝)が等間隔で並んでいた。
プール内に敷き詰められた玉砂利は長辺が5cm前後のものだ。
切妻造平入の社殿は拝殿や本殿に分かれておらず、本殿の納められている覆屋になっている。
覆屋の前面には天地に広く格子窓が設けられていた。
そして、覆屋の右側面には藍白に染められた壁を持つ袋が設けられている。
覆屋前で参拝したが、この神社に関する情報は現場にもネット上にも見当たらない。
全国に約900社存在する愛宕神社の総本社(下記写真)は
標高924mの京都府愛宕山(下記写真中央の最も高い山)の
愛宕神社だが、一般には「愛宕さん」と呼ばれている。
旧称は阿多古神社と言った。
愛宕山山頂に祀られた愛宕神社の御祀神は以下となっている。
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・埴山姫神(はにやまひめのみこと)
・天熊人命(あめのくまひとのみこと)
・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・豊受姫命(とようけひめのみこと)
愛宕山は霊山であり山岳信仰の場となっていた。
大宝年間(701~704年)に、修験道の開祖とされる役 小角(えんのおづぬ:下記石像)と、
白山を開山した秦澄(たいちょう)が登拝の登中に、愛宕の大天狗「愛宕山太郎坊(下記絵馬の烏天狗)」に遭い、朝日峰に神廟(しんびょう)を建てたことが開基とされている。
烏天狗は日本列島だけのものではない。
メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンに弟子入りしたとされるカルロス・カスタネダの著作に『ドン・ファンの教え』(下記左の著書)がある。
文化人類学者のカスタネダはドン・ファンのもとで体験したことを『ドン・ファンの教え』の中に記述しているが、この著作の中にも烏天狗は登場する。
それだけではない、アリゾナ州のメサ(テーブルマウンテン)上に居住するホピ(ネイティブ・アメリカン)のカチナ(精霊:上記写真右)にも翼と尖った嘴(くちばし)を持つ烏天狗と相似なものが存在する。
ただ、上記カチナは烏ではなく鷲だ。
それどころか、愛宕山太郎坊の絵馬の姿も名称は烏天狗だが、翼は黒くなく、嘴も烏のものではなく鷲だ。
写真資料が見当たらなかったが、カチナは数百種存在し、その中には烏をモチーフにしたカチナも存在すると思われる。
さらに南米のインディオの土産物の中にも翼と嘴を持ったカチナに類する精霊人形が存在する。
ところで、かつて愛宕山に祀られていた愛宕権現(下記お札)は現在の祭神の筆頭になっている伊弉冉尊(イザナミ)を本地垂迹した権現であり、元は女神なのに甲冑を着用して馬にまたがった地蔵菩薩の姿をしている。
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天狗の関わる山としては高尾山も著名であり、高尾山と愛宕山の双方に役 小角は祀られています。
一方、愛宕山で小角と会合した秦澄に関する図版類は存在しないため、その姿が紹介されることはありません。それどころか、姿が存在しないこともあって、秦澄は実在も疑われている人物です。
レイラインAN(仮称)はなぜか、岡崎市にある神社が多くヒットしているのですが、渡町 愛宕神社は岡崎市最後の神社となりました。