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麻生田町大橋遺跡 土偶A 59:神明社のセオリツヒメ

名古屋市東起町(ひがしおこしちょう)の白山社から7.9kmあまり北西に位置する津島市の[神明社・八幡社]合殿に向かいました。

レイラインAG([神明社・八幡社]合殿)
レイラインAG([神明社・八幡社]合殿)

愛知県西部を東西に走っている県道115号線から南下すると、まだ田畑が多く残っている住宅街に向かって[神明社・八幡社]合殿の社頭はあった。
社頭前を横切る一般道の向かい側は畑で、社地の西側は暗渠になった用水路に面していたので、愛車はその用水路を塞いでいるコンクリートの蓋の上に駐めた。

[神明社・八幡社]合殿の境内は入り口から清浄で細かな砂利が敷き詰められ、素木の車止めが置かれ、社号標は下記写真のような表示で、石造台輪鳥居が入り口から10mあまり引っ込んだ場所に設置されていたが、伊勢鳥居でも八幡鳥居でもないところに工夫が感じられる。

[神明社・八幡社]合殿 社頭
[神明社・八幡社]合殿 鳥居

そもそも、地図表記での社名は「神明社・八幡社」となっており、この表記では同じ場所に2社が存在すると受け取れますが、社号標では2社が合祀された神殿が1社存在すると受け取れる。
こういう神社の場合は社名を格上の「神明神社」として、八幡社を合殿に祀ることがほとんどなので、ここの神社の場合はそれぞれの社を祀っていた2村が合併したのかと考えた。
しかし、現在のここの町名は「白浜町」だが、明治期には3村が合併して「百高村」になったものの、昭和30年に町に変わった折に百高村が再び江戸時代の3村に分かれて町になったようだ。

そして、台輪鳥居の正面奥には蕃塀が存在し、蕃塀越しに拝殿の銅版葺屋根がのぞいていた。

蕃塀は3間巾の銅板葺素木造連子窓型。

[神明社・八幡社]合殿藩塀

蕃塀を迂回すると、コンクリートでたたかれた参道が始まり、20mあまり奥にある瓦葺切妻造棟入の拝殿前の敷居に通じていた。

[神明社・八幡社]合殿拝殿

拝殿の正面は軒下の壁と腰板は木造で、戸と窓が格子ガラスになっている。
社殿の周囲の社叢は少なく、空が開けていた。

拝殿前に設置された大きな踏み石に上がって参拝した。
この神社も記録が残ってなく、祭神は特定されていないようだ。
社名からは天照大神と八幡大神が合祀されているとみられる。

拝殿内を見ると、拝殿と奥の祭文殿とは仕切りで分かれているもののつながっており、本殿は別の建物になっているようだ。      

●妻飾りのセオリツヒメ

拝殿の軒下を見上げると、妻飾りとして瀧の浮き彫りが装飾されていた。

[神明社・八幡社]合殿拝殿妻飾

瀧(滝)はセオリツヒメのトーテムであり、Wikipediaの「瀬織津姫」の項目を見ると、「(瀬織津姫は)水神や祓神、瀧神、川神である」と説明されている。
セオリツヒメは記紀からは抹消されている神であり、大和朝廷中央に近い地域ではほとんど祀られていない神である。
一方、縄文人の本拠地であった日高見国地域(北上川流域)では滝のある場所にセオリツヒメが祀られ、やはり滝のある場所に祀られることの多い不動明王と習合している例が見られる。
その例を代表しているのが北上川流域の花巻市・遠野市に集中して祀られている早池峰神社(はやちねじんじゃ)だ。
その総本社と言える花巻市大迫町の早池峰神社を訪づれた時、拝殿前には自然の手水舎が設けられていたが、その周囲を不動明王や巨大な不動明王利剣、地蔵菩薩が取り巻いており、手水の滴りを滝に見立てているのは明らかだった。

大迫町 早池峰神社 手水

ここに手水舎の本質を見ることができるように、瀬織津姫は祓神でもあるのだ。
一方、神宮 内宮第一別宮である荒祭宮(あらまつりのみや)には天照大御神の荒御魂(アラミタマ)が祀られているが、伊勢神道の根本経典である『倭姫命世紀』には荒祭宮に関する記述があり、そこには以下のように記されているという。

内宮、荒祭宮に祭られているのは、天照坐皇大御神荒魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)で伊邪那岐命の禊によって生まれた八十枉津日神(ヤソマガツヒ)で、またの名は瀬織津姫である

『倭姫命世紀』

このことからすると、[神明社・八幡社]合殿拝殿の妻飾りは天照坐皇大御神を祀った神明社のための飾りであり、アマテル(『ホツマツタヱ』の天照神)の妻(セオリツヒメ)を飾ったものであると言えるものだ。

ここ尾張国の三宮熱田神宮には天照大御神の荒御魂を祀った境内摂社一之御前神社(いちのごぜんじんじゃ)が社地の最奥に祀られている。           

[神明社・八幡社]合殿拝殿前から降りて、西側に回ると本殿は予想外の様式になっていた。

[神明社・八幡社]合殿 本殿

石垣の上に瓦葺の神門と回廊が設けられているのだが、それに見合う本殿は存在せず、2本の柱で支えられた異例な大きさの銅版葺覆屋根が設けられている。

その石垣に使用されている石は巨石と呼べる花崗岩と思われる自然石を積み上げたものだった。

[神明社・八幡社]合殿 本殿石垣

神門前の石段の麓に立つと、透かし塀を通して銅版葺の異なる規格の3社が祀られていることが判明した。

[神明社・八幡社]合殿神門

回廊内には神明社と八幡社が祀られているものと思っていたので、予想外だった。
そして、大きな覆屋根は本殿を覆うものではなく、神事のためのもののようであることが分かった。

神門前に上がって回廊内を観ると、中央ではなくやや左寄りに銅版葺神明造の社が祀られていた。

[神明社・八幡社]合殿本殿

右隣の社は流造(ながれづくり)なので八幡社だと思われ、となると、この社は神明社ということになるのだが、鰹木は5本で男神を示している。
まさか、拝殿の瀧の妻飾りに対応して男神天照神が祀られているとは思えないのだが、千木が神門の屋根に遮られて、確認できない。
上記写真の左側から向こうに突き出しているのは神門の肘木であり、この神明社本殿と思われる社が左に寄せられていることが判る。

右隣の銅版葺社は屋根の高さは神明造の社に揃えられているのだが、若干小さい。

[神明社・八幡社]合殿境内社

ここに神明造と流造の社が並んでいれば、「神明社と八幡社」としか考えられない。

その神明社を中心として神明社の左手には小さな祠が祀られていた。

[神明社・八幡社]合殿境内社

この社を推測できるものは拝殿に掲げられていた扁額のみだった。
上記拝殿の瀧の妻飾りの写真に写り込んでいる写真を見ると、扁額には「神明社」、「八幡社」と並んで境内社と思われる社名「津島神社」が読み取れる。
なので、おそらく、津島神社なのだろう。
ここにスサノオを主祭神とする津島神社が祀られているのなら、隣にアマテラスが祀られていることと整合する。

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津島神社と神明社が並んでいることに整合性があるなら、神明社の鰹木が5本(陽数)であることに疑問が生じます。そこで、ネットで利用できる航空写真で神明社の千木が外削なのか内削なのか確認しようとしたのですが、さすがに解像力不足で、確認はできませんでした。次に[神明社・八幡社]合殿に行った時に不敬ですが、回廊の脇からよじ登って確認しようと思います。

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