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麻生田町大橋遺跡 土偶A 121:銭と孔雀

10月の初旬、3度目の豊川市三上町(みかみちょう)緑野神社(みどのじんじゃ)に向かいました。東側のルートは探し尽くし、権現山2号墳を見つけることはできましたが、緑野神社に関しては最初に目を着けた県道31号線沿いを再度、チェックすることにしました。

モーターサイクルは一般化している4輪車と違い、走行中にチェックするものが1つ多い。
それは路面の状況だ。
路上に陥没した穴があれば4輪車と違い、避けるなり、スピードを落として、転倒を回避する必要があり、マンホールなどの鉄の路面があれば、その上でブレーキを掛けたり、ハンドルを切ったりしないようにして、やはり、転倒を防ぐ必要があるために、路面を常にチェックしている必要がある。
そのため、青信号になっている交差点に面しているものや、路肩に存在する目立たないものは探していても見落とすことがある。

3度目の三上町には最初にやって来た時に気になっていた場所があった。
時速45kmくらいで通過した時に以下の写真の邸宅と大型トラックの間にある幅2m未満の「路地」という印象だった通路だ。

走行していて感じたイメージは「右側に面している邸宅の私道」だった。
しかし、「右側に面している邸宅の私道」にやって来ると、登り道であることが認識できた。
そして、東側の通路を探索した経験から、緑野神社は山の上にあることが想定でき、「右側に面している邸宅の私道」と結びついた。
で、とにかく、愛車を31号線沿いの歩道に駐め、その登り道に入って行ってみることにした。

その登り道の麓に立つと、砂利を敷き詰めた道にはコンクリートの柵を並べて段鼻が設けられていた。
砂利を敷いてあるのは地面が粘土質で、雨が降るとぬかるむからだと思われる。

登り道を隣のトラックの荷台くらいの高さまで上がると、道幅は1mほどに狭まり、路面から砂利は無くなった。
右側の邸宅の2階の屋根を見下ろす場所まで上がると、そこには登り道の左右に幟柱が建てられていた。

幟柱の存在で、この先に神社が存在することが確認できた。
幟柱脇に枝葉付きのドングりと、美しく紅葉した葉が落ちていたので、それらを見捨てたままにはできなくて、幟柱の基壇上に組み合わせて置いて撮影したのがヘッダー写真だ。
幟柱の先(参道)は坂がなだらかになり、森の中に向かっている。

幟柱から少し歩くと、幅50cmほどの干上がった水路が右手に現れ、途中で通路が水路の右側に移り、坂が急になった。

ここ2日間は雨が降っていないが、雨が降れば水路に水が流れるだろうことは感じられた。
参道の先はまだ、何も人為的なものは見えていない。
上記写真に見えている場所を通り過ぎて、しばらく登ると、参道の左手の森の中に直径2mほどの澄んだ水の溜まった池があった。

その池の底の土の状況から、少なくともかつてはここに存在した湧き水によってできた池であることが推測できた。
今も雨が降った日には伏流水が湧き出るのかもしれない。

その池からさらに参道を登ると、幅50cmほどあった水路は水が落ちていれば落水高50cmほどのミニ滝にぶつかった。

このミニ滝の周囲は珍しい苔とシダの宝庫だった。
苔の宝庫の条件は地面に水分が豊富なことと、日照時間があることだ。
しばらく、ここで苔の撮影をしまくったのだが、2種類だけ紹介すると、まずは以下のミカヅキゼニゴケ。

地面は赤土で非常に湿っている場所であることが解る。

ミカヅキゼニゴケは『Google Arts & Culture』には以下のように紹介されている。

ミカヅキゼニゴケは、ゼニゴケ目の苔類。本種のみでミカヅキゼニゴケ科ミカヅキゼニゴケ属を構成する。属名 及び和名は、葉状体の上に三日月型(※真横から見た場合?)の無性芽器をもつことに由来する。日本では昭和時代に入ってから帰化が確認され、服部新佐によってこの和名を与えられた。
                           (※=山乃辺 注)

上記写真白丸の部分に無性芽器が見えるが、その無性芽器を拡大したのが下記写真だ。

形状は花に似て美しい。
現在の住宅街では、まず見られない苔で、ドブ川やヘドロのあるような場所に見られる。
個人的に名古屋市内や三重県のどこで繁殖しているのか認識できており、殖育していたことがあるが、横に広がる生命力旺盛な苔なので、何年も狭い容器の中で殖育するのは無理だった。

もう一つが以下のクジャクゴケ(下記写真の細長い無数の葉状体の集まったもの)だ。

葉状体の先端部では孔雀が扇形に尾羽を広げたのに似た形状をしている。
苔の中では最大の分類群であるマゴケ綱に属する苔で、日本列島のどこでも見られる苔だが、あまり光の当たらない湿地に自生する苔なので、やはり市街地では見ることのない苔だ。
クジャクゴケも殖育していたが、葉状体の美しい苔である。
クジャクゴケも以下のような孔雀の頭部のようなシュールな形態の胞子体を伸ばす時期がある。

山道になっている参道を登り切ると、山頂下を切り開いて平地にした場所に出た。
平地の入り口には石造明神鳥居が東向きに設置されていた。

鳥居の正面奥には社殿がある。

社号標の無い神社なので、石造の扁額には初めて社名の解る「緑野神社」が浮き彫りされていた。

鳥居をくぐると河原石を3段寺勾配に組んだ基壇上に瓦葺切妻造平入で波トタン板造の背の高い腰板以外は吹きっぱなしになった覆屋が設置されていた。
屋内には本殿が収められている。

(この項続く)

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3度も豊川市まで探しに来た緑野神社は、その社名が何かを囁き掛けて来たからですが、実際に表参道を登ってみると、自分の予想より素晴らしい神社でした。


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