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麻生田町大橋遺跡 土偶A 140:大正モダンな談合橋
豊橋市談合町の上談合橋から、牟呂用水の下流50mあまりに架かっている談合橋に向かいました。
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談合橋にやって来ると、談合橋は大正モダン(?)な凝った意匠を持つ橋だった。
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黒御影石、レンガ色のタイル、表面に凹凸処理を漆喰、ジュラルミン製の棒、カーブした縁石、コンクリートでたたいた白い床と黒い舗装道路。
複数の素材を組み合わせてグラフィカルな装飾の施された橋だった。
少し上流の舟原小橋も展望所の下流側の欄干が凝ったものだったが、
談合橋は1ヶ所も手が抜かれていない造作が全面に施されている、観光名所以外では見たことの無い、装飾にコストを掛けた橋だった。
装飾は橋面内だけではなく、一般的には橋の親柱に施される照明具が橋名を入れて牟呂用水の側面に回り込ませた壁に取り付けられていた。
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談合橋の黒御影石の親柱の角度を見ると、壁と平行ではなく、30度ほど傾いて壁から柱の角が突き出ている。
これは牟呂用水に架かっている談合橋が用水路と直角ではなく、30度傾いて架かっているからだ。
談合橋にも水路面に半円形が突き出した展望所が設けられているが、舟原小橋が片側だけだったのに対して上流側と下流側の両方に設けられていた。
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基本的に同心円を利用した円、扇型、半円、球、三角形を組み合わせたグラフィックな意匠になっている。
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下流側の展望所から下流側を見ると、牟呂用水内に変化は見られない。
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右岸に見えていた高層ビルは低く見えるようになってきており、一方、左岸に見えてきた円錐形のモニュメントはかなり近づき、高く見えるようになってきている。
このモニュメント、いったい何の建造物なんだろう。
談合橋の上流側の展望所から上流側を眺めると、すぐ正面に上談合橋が架かっているのが見えるが、右岸(下記写真左側)の高水敷が2段に変化し、上の段が20cmほどの幅になっている。
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一方、左岸(上記写真右側)の高水敷の下の段が30cm幅に狭まっている。
談合橋から70mあまり下流の新中世古橋に移動。
橋上から上流側を見下ろすと、水路内に変化は見られないが、右岸(下記写真左手)に瓦葺切妻造の堂らしきものが存在するのだが、その堂らしきもの、非常に奇妙なことに、堂の床の80%ほどが右岸の高水敷の上、中空に張り出しているのだ。
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こんな非常識な建物の設置の仕方は、もちろん遭遇したことがない。
堂らしき建物の最低部は高水敷の上の段に乗っているので、水位が高水敷の上の段に上がれば、水圧で、この堂はひとたまりもなく流されてしまうだろう。
堂らしき建物の前にはレンガ色の不思議な建造物が建っている。
右岸に回って、堂らしき建物を見に向かった。
堂らしき建物は躯体の前面が、牟呂用水の堤防の歩道面に揃えて設置されていることが判った。
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ただ、コンクリート造の濡れ縁が軒下までは歩道に突き出している。
それでも、レンガ敷の歩道に自転車も通れるようにするための苦肉の策で現状のようになったようだ。
それにしても床下にしっかりした桟橋状の基礎を設ければいいはずなのだが、高水敷の上に建造物を設けてはならない法規でもあるのかもしれない。気がつくと、歩道と用水の間の鉄柵は色が白に変わっており、歩道側から見ると、束に青い波模様が描かれていた。
レンガ色の建造物は、何のことはない、配電設備のボックスのようだ。
歩道には歩道沿いに花が咲き乱れている「みつばつつじ」の花の絵を焼いたタイルがはめ込まれていた。
「みつばつつじ」という名称を伝えるためと装飾を兼ねたタイルのようだ。
その建物の正面に立つと、前面は格子戸で覆われており、情報が無いので、奉られているものは不明だが、堂であるなら、水路にはみ出して祀られるものといえば、第一候補は弁財天だろうが、堂ではなく、水神や龍神を祀った覆屋である可能性も考えられる。
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この歩道の生垣の一部にマンホールがあり、見事な図案の豊橋市の蓋が閉じられていた。
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太陽を背にした貨物船が湾内に浮かび、両岸にビル街と樹木に包まれた住宅街が見え、それを人々(豊橋市民だろう)が取り巻いている。
現在は、ここから北の豊川までは890mであり、西北西の三河湾までは5.7km以内だ。
三河湾の埋め立てが進む以前には、もっと近くまで湾が迫っていたのかもしれない。
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新中世古橋からJR豊橋駅ビルまで1.1kmあまり。牟呂用水が都心をくぐり抜ける暗渠のある前田町にはすでに入りました。