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【短編】独立靴下よ永遠に【後編】約5000字

誰でもない誰かの話

【前編】は↑から。

【後編】

コインランドリーで洗濯物が他人に出されないコツはなんだろう。

40分かかるなら40分。どこにも行かずその場で本でも読んでコンビニで買ったお茶とお菓子を口にしながら待つことをお勧めする。

普段読まない小説とお茶とたけのこの里をコインランドリーに持ち込んだ。
なるべく何も考えず、なるべく感情が揺れない物がいい。そう思った僕は柏井壽を眺めるように斜め読みする。
「思い出の味を探すって…。」
たけのこの里を口に入れると、妻が気まぐれで焼いたクッキーの味を思い出す。
口の中にあるクッキーとチョコレートとは全く違い、米粉を使って焼いたもので南部せんべいのように薄味もいいところだった。
「お菓子だけは下手くそだったんだよな…。」

他の料理は確かに美味しく、特に名前もない煮物は味がきちんと染みているし、その割に素材の味もする。
何を使ったか訊ねれば麺つゆしか使っていないと言う。僕も妻も麺つゆが好きだったということか。

小説を読んでいるのに妻との思い出ばかりが浮かぶ。

死んでしまったあの日のことはなるべく記憶の端に追いやっている。
あんな顔をした妻は本当に僕の妻だったんだろうか。
僕が妻だと思っただけで、本当は別の人であって今でも猫と一緒にどこかで元気に生きているのではないか。
忘れたいと願いながらそんな空想を思い浮かべる。


洗濯機が音を立てて動きを止めた。

立ち上がって中身を取り出し乾燥機に移す。
靴下が一つ。床に落ちる。

そっか、このタイミングで靴下がなくなるんだ。

ふっと笑いながら拾い上げて乾燥機に入れる。
10分100円。僕の経験上、必要なのは400円。40分回すと充分乾く。

アパートの窓の外に洗濯物を干したことがない。
人が住んでいるのはわかるだろうけど、どんな人が住んでいるのかはわからせたくないからだ。

「ねえ、捕まったんだってー」
「ああー、郡山惨殺事件の犯人?」
「そそ、顔ヤバいよねー。」
「いかにもやりそう」
30代半ばだろうか。
僕より年上に見える女性たちが、笑い声とともに僕の妻を殺した犯人を話題にあげながらコインランドリーに入ってきた。
「家族、もう引っ越してるみたいだしさー。」
「被害者の?」
「そそ。テレビで見たんだけど。家、空き家で草すごいし、いかにも廃墟。ま、2年前だからねー。」
「え、それって…呪われた家!」
「ギャハハ!それ、マジで!」
女性たちの間では笑いながら話す内容にまで落とし込まれている。僕と妻と豆谷豆蔵の過去は世間にとって過ぎ去った笑い話。

コインランドリーの隅、僕はベンチに腰掛けて小説の続きを読み始める。京都弁がつらつらと連なる。

「てかさ、次の日曜、練習試合って知ってるー?」
「ええっ!!?聞いてないっ!マジあいつ、言えっつーの!」
「ギャハハっ。うちもそんなもん。大事なことはいっつもあとまわし!」
「ママちゃん弁当嫌なんだよなー。」
「わかるー!うちもう、コンビニの持たせてんもん。」
「うちもそうしよう…あー、靴下くっさ。」
ドラム式の洗濯機を乱暴に閉め作動ボタンを押して二人は出て行った。

他人の話なんか数分ともたない。
世間の関心なんてこんなものだ。ネットでエゴサをする人はよほど暇だと思う。
僕は、ネットを見ないし、テレビも見ない。

スマホがポケットの中で震え出す。
着信の時の規則正しいバイブレーション。
「…はい。」
電話の相手は、裁判の日程を告げてきた。

犯人の顔を見たくはない。

供述によれば、犯人は妻を自分の欲を満たす道具にし抵抗せぬよう首を絞めそばにあった包丁で腹部を刺し、近寄ってきた豆谷豆蔵が引っ掻いたので首の後ろを刺したそうだ。
妻と豆谷豆蔵が最後に見た男は小田原子華音という犯罪者。

よく乾いた洗濯物をKALDIのエコバッグに入れながら妻の作った煮物の味を思い出す。
僕が食べたかったのは、カレーだったしビーフシチューだったけど、それらはレトルトを温めたものを出された。温かい思い出の中にもがっかりするポイントは沢山ある。

豆谷豆蔵は確かに可愛く大好きな猫だけど、僕よりも妻の方が好きで、妻が出かけてしまうと機嫌が悪く僕に噛みついて憂さ晴らしをしていたから、そこだけは少し嫌だった。

それでも大好きな家族。確かに大好きだった。 

「どうして、どうして…君たち、殺されなきゃいけなかったんだろうね。」
涙が流れるのを洗い立てのハンカチで拭う。
流す涙はもう枯れ果てていたはずだ。
ハンカチに滲んでいくごとに心が揺れる。

コインランドリーで泣く30手前の僕を誰かが見たら笑いものにするだろう。
いい大人が、しかも男が泣いているなんて。と。



「涙もろいのはいいけど、最後の挨拶は絶対泣かないでね。」
結婚式の朝、妻となった凪がそう言って僕の背中を叩いた。緊張で吐きそうな僕に冗談を言っているつもりだったみたいだ。
「ねえ、少し落ち着いたら、猫飼わない?」
「猫?」
「私、自分の家で猫を飼うのが夢。」
「でもなー。爪研ぎされたらさー。」
「爪もちゃんと切るし!」
「トイレとかさ…」
「私がやる」
猫のいる我が家を想像するごとに緊張がほぐれて
「じゃあ、保護猫なら良いよ。」
少しだけ夫らしくしてみた。
「やった!」
にっこり笑う妻。
「この先、あんまり泣かないでよね。」
僕の顔をじっくり見る妻の前、僕は笑うしかなかった。


夕飯は妻が得意だった煮物を作った。
麺つゆを使ったのに全く味が違う。どうしたらあの味になるんだろう。謎だらけの煮物の味。白米と交互に食べながら、スマホの待機画面を見る。
今日も変わらない妻と豆谷豆蔵。
「僕、裁判に行った方がいい?どう思う?」

妻が持っていたデジタル一眼も売ってしまった。残されたSDカードをパソコンに繋いでみる。データを見るのは悪いような気がしてずっと見ていなかった。
フォルダを開くと、一緒に出かけた街の風景や豆谷豆蔵の写真ファイルが並んでいる。僕の写真もあって、タイマーを使って一緒に撮った写真もあった。趣味の写真にしては良いものが多い。
一緒にいた家。もう二度と戻らない光景。


証言台には絶対に立たないと条件を出して裁判所へ来た。マスクをして深々と帽子を被る。
僕には何の関係もない人達が、犯罪への興味を纏いながら被疑者を見つめている。人気のある裁判は予約制。この裁判も予約制だったらしい。人の生き死にがかかっているとか。

僕の家族はあの男に殺された。もう死んでいる。
生き死にはそれではなくあの男の方。

殺人の罪。暴行の罪。器物損壊。住居侵入。

僕のいなかった猛暑日の午後。
小田原は南向きにある日の当たる大きな窓から僕の家に侵入した。リビングのソファに横たわって豆谷豆蔵と遊ぶ僕の妻と目が合い
「…とっても綺麗だったんで、ワンピースが特に良くて…」
耳を塞ぎたくなる。
こんな幼稚な考えの男に殺される理由なんてどこにあったんだろう。
握りしめる手。爪が手のひらに食い込んでいく。
「マジ、想像通りやべぇじゃん。」
「頭おかしい。」
傍聴席から上がる声が囁きからどよめきに変わっていく。

小田原は饒舌だ。
自分を弁護することじゃなく犯行の一部始終をありのままに話しだす。まるで、もう一人の自分を俯瞰しているように。

「きっと、旦那さんがいる人なんだろうということは容易に分かりました。左手の薬指に指輪をしていましたから。駅のスーパーで見かけて、僕の自転車の横に停めた自転車でご自宅に向かうのでこっそり跡をつけて。
1週間も繰り返したでしょうか。猫がいることがわかりましたよ。好きなんです。猫が好きな人。南向きの窓はいつも開いていますね。その方が買い物の荷物を入れるのが簡単なんですよね。
でも、不用心です。だから、それ俺のこと招いてるのかなって。俺がついてきてるの知ってるんでしょって。きっと俺のことが好きなんだろうって。
で、お邪魔したら違うって言うんだもん。誰?って聞かれて。
流石に、頭にきちゃって、無理矢理でもやってやれって血が上って止められないから、うん。俺、理性抜きの本能の塊なんです。
それで、怖がる顔はもっと可愛くて。好きになっちゃって。
壁際に追いやって首を絞めると力が抜けちゃって、猫ちゃんに引っ掻かれて。
俺の手が外れたら逃げようとするから。逃げないで俺のことを招いたのはあなたですよって、そばに果物ナイフあったからお腹刺しちゃいました。大きい声出すからもっと聞きたくてもっと刺しました。
可愛いんだもん声。大好きって思って。」

傍聴席はその発言に始終どよめいている。
死刑だ とか サイコパス とか 気違い とか 気持ち悪い とか。沢山の言葉が文字を整形して立体に見えてくる。裁判官が傍聴席を沈めようと声を上げると、文字の図形も僕の視界から消えた。
「犯行の理由は…」
「好きだったから俺のものにしたかったのに
死んじゃった。もったいないことしたな。残念。」
ククっと笑うその肩が震えている。
「家族の方へ、謝罪の言葉は…。」
「うーん。ないよ。てか、旦那さんずるいよね?」
会ったこともない僕へその目が向けられているようで変な汗が流れてくる。僕の周りにいる見知らぬ人々が、罪人へ軽蔑の目を向けているのがわかる。
「それは、どういう…ことですか?」
検察官が小田原に声をかける。
僕は、唾を飲み込んだ。
「え?だって、旦那さんと結婚しなかったら俺を好きになって、俺の思い通りだったんだし。猫の躾もしてないから、引っ掻かれて治るまで1週間かかったんだもん。殺して正解なんだから。あんな猫。俺、そんな責任なくてずるい人間大っ嫌い。」
妻と豆谷豆蔵が殺される理由なんてどこにもなかった。
思っていたよりずっと小柄なその男にこんなにも心を抉られて流すはずのない涙が頬を伝う。
「ねー、泣いてないでさ、何とか言ったら?気持ち悪いよ。泣くなんて。憎いなら憎いって言ったらあー?こんなダサい人好きだなんて、あの女も頭が悪いなあ!」
僕を見ている。僕が、被害者の夫だとはっきりと分かっているようだ。
「ここに出てきて俺に恨みを言ったら?ねー?」
合わせる目が瞬きさえできないほど僕を震えさせる。周りの人がコソコソと僕を見ながら何かを言っているが聞き取れない。

あの頃、うちのリビングには僕と妻と豆谷豆蔵の写真が飾ってあった。幸せを絵に描いた僕の理想が。

血液の広がるリビングに写真が散らばっていた。
フォトスタンドも倒され妻の血液に沈んでいた。

歪んだ好意は醜い狂気だ。

小田原子華音は精神鑑定の末、状況判断にかける部分があり、罪を問うには未発達な部分が多く裁判の結果、刑罰を与えるのは難しいと結論が出された。

僕は、遺族ではあるが、名前とスマホの番号以外全て誰にも知られないように2年前に身の周りを整理したから新たにマスコミに追われることはなく小田原が逮捕される前と何ら変わらない生活を送っている。

「すみません、こんな結果で。」
県警の何課なのかよくわからない職員さんとのやりとり。犯人が捕まった日に電話をくれた人だ。
「良いんです。どんな結果であれ妻も猫ももういないんです。」
「藤谷さん、辛くないですか。」
「…大丈夫です。」
コーヒーをご馳走になって、警察署から外に出た。もう、連絡が来ることはないだろう。


また、今日も無くしてしまった。
コインランドリーで乾燥機を回して警察署に行ったから洗濯物を出されてしまったんだ。乾燥機で乾かした服を持ち帰ってたたんでいる時にペアにならない靴下が出てきた。

窓の外は雨が降っている。

「私…雨、好きなんだ。」
雨雲から落ちてくる水滴を見ながら
凪がぽつりと言っていた。
「僕も嫌いじゃないよ」
抱き上げた豆谷豆蔵を凪に抱かせた。
「まめもだって。」
外を見つめる豆谷豆蔵。頭を撫でるとあくびをした。それを真似して凪も口を開けた。
僕はそれを見て笑ったんだ。

なんだか楽しい思い出。
ふっと息を吐いて笑ってしまう。
楽しかった。凪と豆谷豆蔵と過ごした日々は間違いなく楽しかった。ありがとう。僕と出会ってくれて本当にありがとう。

手の中には片方になってしまった靴下。
行き場は片方だらけの靴下の群れ。
その中に混ぜると前からあったよう。


窓に当たる雨の音が心地よくて
「凪、まめ、僕も靴下と同じようなもんだね。」
雨雲に語りかける。

そんな水曜日。

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#クロノツカヤ  さん、写真お借りしました。みんなのフォトギャラリーへの掲載ありがとうございます。


【短編】独立靴下よ永遠に【後編】

おわり


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