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相馬野馬追に祭りと共同体を思う

日本に於いて、乗馬人口はそんなには多くはない。その所為か、馬乗りには色んなルートで馬友達がいる(ことがある)。

福島大馬術部だった友達とは、同じ先生に教わったことがある縁で知り合った。福島大馬術部は、夏になると相馬野馬追の手伝いに行くことがあるらしい。

相馬野馬追。福島県の旧相馬中村藩領で行われる、相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の三つの妙見社の祭礼である。騎馬行列と甲冑競馬、そして神旗争奪戦が有名だろう。その起源は、藩主相馬氏の始祖・平将門に始まると伝えられている。

数百の戦国期〜江戸期の本物の甲冑に身を包んだ侍が、旗指物を背負って馬で駆ける。それはまさにリアル戦国絵巻だ。しかも甲冑や馬具はレンタルではない。馬だって個人や地域で飼育し、常日頃から乗馬の訓練をしているという。

4年前のある日、その馬友達に「相馬野馬追で馬丁しない?」と突然誘われた。曰く、いつも手伝いに行っていた人がこの年は行けないということで、誰かいないかと探している家があるらしい。

馬好きならば一度は見てみたい(でも宿がなかなか取れない)相馬野馬追。それに参加できる機会なんかそうはないじゃないか。

私はその話を快諾し、祭りの始まる前夜に高速バスで南相馬市へと入った。それが4年前の昨日のことである。

馬丁とは一般に、馬の世話をしたり口取りをする人をいう。野馬追では、たとえば馬に乗るお侍さんが下馬している間、馬を持って待っていたり、行列中は歩道に居並ぶ観客の間を縫うように担当の馬を追い、何かあったら持っている無口(頭絡の一種)を着けて馬を抑えなければならない。

私が手伝いに行ったお宅は、お父さんと息子さんの2人が参加するため、手伝いの人も多かったし、文字通り家族総出で野馬追をしていた。

4年前、まだ東日本大震災から5年だ。相馬地区も当然被災地で、人も馬も亡くなったという。

でも、そのお宅は皆さん明るくて優しくて、とても良くして頂いた。手伝いに行ったのに、私の方が元気を頂いた気がした。
娘さんが東京で美容師をしているから、私はそれから彼女に髪を任せている。

実は、高校時代からお世話になっている皮膚科の主治医が、南相馬市の出身だった。
「野馬追の手伝いに行ったんですよ」
そう話すと、それは嬉しそうに笑って
「僕の故郷の祭り」
と看護師さんに2回繰り返した。

祭りというのは、地域の活力である。
私が生まれ育った所にはいわゆる普通の神社の例大祭があるだけだが、それでも神輿を担ぐあの掛け声と笛の音を聞くと、気持ちが高揚する。
それが相馬野馬追のような規模の祭りともなれば、どれほどのものであろう。

本来であれば、今年も今週末に野馬追は行われるはずであった。が、感染拡大を防ぐため、行事は神事のみとし、関係者のみで執り行うとのことだ。今年は同様の対応を取っている祭りが多いだろう。祇園祭、ねぶた祭、博多祇園山笠、阿波踊り…五山の送り火までも縮小される。

夏祭りも花火も盆踊りも駄目、秋祭りも現状では期待はできまい。

祭りとは地域再生の儀式だ。災害が起きても飢饉が起きても、寧ろそれを振り払うために人々は一体となり、神を祀る。
大きな祭りのある地域には「祭りで1年が始まる」という人がいるが、まさに祭りによってそれまでの災厄をリセットし、地域が再生されるのだ。

共同体によるその儀式を、全国で通常通り行えない。こんなことは(天皇崩御による服喪でもなければ)史上初だと思う。ましてや、人が集まることすら避けねばならない事態なんて、寡聞にして聞いたことがない。

主治医はその後も折に触れ、「患者さんの中で野馬追行ったことある人、2、3人しかいないよ」とか「今年は行かないの?」とか振ってくる。
昨年、馬のボランティア関係で相馬の殿様(34代御当主)と話す機会があり、「また是非来て」とお声掛け頂いた。
美容師の彼女は、今年は相馬に帰らないそうだ。

来年は、世界中でお祭り騒ぎが出来たらいい。ハレという息抜きがあるから、人々はケの日常を生きていけるのだ。

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私もいつの日かまた、あの戦国絵巻を見に行きたい。4年前は不通だった常磐線に乗って。

1年後には延期となったオリンピックが控える。はてさて、世界的祭典は地域再生の儀式となるだろうか。

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