アートとの出会いは数珠つなぎ
私が現代アートと出会った最初の記憶は、麻谷宏さんの赤い布のインスタレーションだ。文学部を卒業して事務の仕事をしていた頃、毎月一回は京都市内へ来て、本屋やギャラリー巡りをしていた。その頃、よく行っていたのはギャラリーマロニエやギャラリーにしかわ、四条ギャラリーなど、大通りに面したわかりやすいギャラリーだった。1997年の四条ギャラリーで麻谷宏さんの赤い布のインスタレーションに出会って衝撃を受けた。ギャラリーの空間の奥の方から送風機で送られてくる風で、大きな赤い布が風をはらんではためいている。その布の下へ、覆われている布の下で風の音を感じながら、布越しに透ける照明の光を感じて、ただ、五感で感じるというだけの体験をしたのだけれど、それがものすごく心地よくて、ずっとここにいたい、布の下で揺蕩いたい感覚になったことを記憶している。
1993年の神戸の海岸での展示は見に行けなかったけれど、話題になっていたようだし、今年雑誌の記事を取り寄せて、1999年に金沢でも大きな展示があったことを知った。釜山ビエンナーレでも展示されていたと知る。
残念ながら麻谷氏は2019年に亡くなられていて、もう作品を見ることができないのが残念でならない。
私が美術に興味をもったのは、大学生くらいで、展覧会へ行きはじめたのは、社会人になってからのこと。ポストカードを集めるのが好きなので、いちばん最初に買ったのはなにかを探してみたら、ギュスターヴ・モローだった。1995年の京都国立近代美術館のとき。どこか幻想的な絵画が好みで、ポール・デルヴォーなんかも見に行った。その頃はあまり現代アートに興味がなかった。麻谷宏さんのインスタレーション以後、次に衝撃を受けたのが、2000年の宮島達男さんの展示だった。
結婚したばかりの頃、私はまだ無職で、夫が東京へ出張するのに一緒に行って、空き時間にいろいろ東京で見ようということになった。そのうちのひとつが宮島達男さんの東京オペラシティでの展示だった。今はすっかりあたりまえの存在になった発光ダイオードのブルーの光。その頃はまだめずらしく感じられていたように思う。薄暗い空間一面にデジタルカウンターが動いている。青の光が美しく、カウントされていく数字の、終わってまた始まるさまが、無機質なのに、いのちのようでもあり、静かに沁みた。その数年後にまた夫の東京出張へついていった私は、谷中のギャラリーで宮島達男さんの展示があることを知って、再び作品を見ることができた。オペラシティよりは小さな、箱という感じの空間での展示は、また違って心地よさを強く感じたように思う。消えない光のともしびのような。
それから20年くらいたった今年、ARTIST'S FAIR KYOTOで宮島達男さんの展示を見ることができた。清水寺の経堂という空間のなかで、カウントダウンされるのは、水の入った洗面器に顔をつける男性の映像。宮島さんご本人なのか? 映像が揺れているのは、船に乗っているからで、そこは福島第一原発が見える海の上。洗面器に顔をつけ、びしょびしょになりながら、数字のカウントダウンを叫ぶという、どこかシュールな映像は、無機質とはかけ離れた温度感を持ち、長く保たれている伝統的な建築物の中で展示されていることが、また意味を含むように感じた。
自分自身の時の経過とまわりで起こっている物事の変容と、展示でいろいろと思いを巡らせた。
2022年より数年前に、現代アートの作家を多く知ることができる展覧会に行った。そのうちの一つが「THE ドラえもん展」。私は名古屋と大阪と2回も見に行っている。同じ内容の展覧会を別会場で見る経験は実は初めてだった。当然、同じなのに違う印象を受けた。やはり最初の名古屋での展示のほうがインパクトは大きくて、こんなアーティストがいるのか、とドラえもんというモチーフを介して、そのアーティストの本質を見たように思えて、とても刺激的な展覧会だった。
そこで知ったアーティストの展覧会に後日、行くようになったりもした。展示内容は絵画だけでなく、漆造形、立体物、彫刻や写真、映像作品もあって、幅広くアーティストに出会えた。
私は「はてなブログ」に展覧会レポなどを書いていて、そこに「THE ドラえもん展」のことは詳しく書いているので、気になる方はリンクから読んでみて下さい。
その翌年の「数奇景 日本を継ぐ、現代アートのいま」という展覧会では、池田学さんとチームラボの作品が見れるからと行ってみたら、展示はすごいアーティストだらけで、そのうちの半分くらいを気に入ってしまうという、衝撃的な出会いがあった。なかでも宮永愛子さんは、自宅から比較的容易に行ける場所での展示があれば見に行っている。そして、そうやって、その方が参加されるアートイベントがあるから、とまた別の素敵なアーティストを見つけて見に行くという数珠つなぎのような状態になっている。
2020年に六甲ミーツ・アート芸術散歩というアートイベントに行ってみた。六甲のリゾート地のいい具合にさびれた感じにアートがうまく融合して、おもしろい体験ができた。そこでも新しく知ったアーティストは多かった。
六甲ミーツについても記事を書いているので、よければ読んでみて下さい。
それに味をしめて、翌年は木津川アートというイベントに行った。京都府木津川市の瓶原地区の古民家や神社などでアートが展示されていて、点在する場所をレンタサイクルで巡った。
それも、その土地とアートとの融合が素晴らしくて、多くのアーティストを知ることになった。
どんどん数珠は大きくなっていく感覚があった。
そして、今年2022年春のARTIST'S FAIR KYOTOと、秋のBIWAKOビエンナーレ。
これまで見てきて気になったアーティストが出るからと見に行って、また新しいお気に入りのアーティストを見つける。
多くのアーティストが活動しているなか、つかめるのはわずかでしかない。見る機会があれば、どんどん気になるアーティストが増えていくのは当然の流れだ。
けれども、今回、BIWAKOビエンナーレの林勇気さんの作品を見て、私の記憶のなかで、2000年頃の宮島達男さんの作品につながるという感覚があって、あらためて、アートの体験のおもしろさを感じた。特定の誰かに向けたものではないのに、個へ直接入ってくるような感覚は、芸術的なものすべてにもしかしたら備わっているのかもしれないけれど。
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