好きな服(私の場合)
私の好きなバンド「ゴホウビ」が「好きな服」という曲をリリースした。好きな何かのなかでも服を選んで、それを曲としてメッセージ性のある歌にした。人生において、時と場合に合わせなくてはならないことも多い服。そのなかで、「好き」な服を着ることについて、私なりに語ってみたい。
私は裕福な環境に育ったわけではないが、貧しかったわけでもない。それでも好きな服を好きなだけ買えるようになるのは、ずいぶんあとになってからだった。
幼い頃は親戚や知り合いからのお下がりがほとんどで、服を好きなように選ぶことはできなかった。あるなかから、好きを探していくに過ぎなかった。以前のエッセイでも書いたと思うが、お正月前とお盆だけは好きな服を選んで買ってもらえた。幼い頃、町内唯一の服屋さんで、数少ない子供服のなかから好きなものを選んだ。
少ない選択肢のなかから選んでいくということしかなかった世界から、店も多ければ服も多い世界へ行ったのは、中学生になって一人で電車に乗って出かけるようになってからだ。電車で5駅ほど離れたショッピングモールにある服屋さんで、好きな服を選ぶ。何が好きかはそのときの流行と、まわりの人たちが着ている服をたよりに決めていく。中学生の私は日記帳に、そのときに感じたいろんなことを書き留めていて、着てみたい服をイラストにして書いたりもしていた。80年代、大きな襟のブラウスが流行して、例にもれず私も大好きだった。ノーカラーのエンブレムジャケットを合わせて、襟元にはベルベットのリボンを結んで、ロング丈のプリーツスカートでトラッド風なガーリースタイル。もちろんベレー帽をかぶって。
そのイラストのことは本当によく覚えていた。実際に購入して着ていた。丸襟の大きな襟の白いブラウスは、なぜか友達が家に来た後になくなっていて、勝手に盗まれた疑惑を持っているけど、もう過ぎたこと。それもセットにしてちょっとほろ苦い大好きな服の記憶として私のなかにある。
高校生の頃、私服が脚光を浴びるのは、遠足など校外へ行くとき。初夏、ハイキングで山歩きしたときに、私はカンカン帽っぽい帽子をかぶっていった。校舎の学年の廊下に張り出された写真の一覧の中に、そのときの姿が写っていて、我ながら似合っていると大満足でその写真はもちろん購入した。遠景で表情はよくわからなかったけれど、服さえわかれば満足だった。黒のTシャツで胸元がレースアップになったデザインで、グリーンのチェックのズボンを合わせていた。
いちばん思うように服を買っていたのは大学生から社会人2年目くらいの頃。トラッドな服が好みで、よくジャケットとスラックスという組み合わせを着ていた。スーツを何着も持っていたのもこの頃で、好きなシンガーソングライターのコンサートにはパンツスーツやジャケットにスラックスで行っていた。
着る服がカジュアルなものになったのは、出産してから。動きやすい服であることが最重要で、それまでのトラッドからアメカジへ、好きな服のジャンルも変化していった。それでも私のなかに変わらないものがある。それは流行だからではなく、ずっと着続けたいと思えるかどうか。似合うからではなく、好きだから身につけるということ。最近バーゲンで、好きな色と模様とデザインだと買った服を、夫に似合うと言われた。たぶんすごく久しぶりにそんなふうな言葉をもらった。店員さんも似合うと言ってくれたけれど、試着する人にはほとんどそう言うのだろうと、あまり本気にしていなかった。普段めったにそんなことを言わない夫からの「似合う」は、ちょっと威力が違った。「好き」が「似合う」につながる瞬間は、たぶんそんなには多くないから、ちょっと幸せな気持ちになれた。「似合う」は、棚からぼたもち的だからこそいいんだと思う。
そして、よければ聴いてみて下さい。
ゴホウビ「好きな服」
https://youtu.be/vgYLYxe48H8
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