息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話7
息子が倒れた翌日。
いつもの起床時間より遥かに早く目が覚めた。
すぐさま着信履歴を確認する。
緊急連絡先として、一番最初に連絡をもらう番号に私の携帯を指定していたからだ。
そして、病院からの着信が無いことにホッとした。
この1夜を彼は乗り越えられたのだ。
それだけで、涙が溢れた。
(長男、苦しい思いはしていないかな。もしかして意識が戻って泣いているのではないかな)
そんな思いが沸々と湧き上がる。
でも、もうすぐ起き出す次男の前で不安な顔はしていられない。
一度大きく深呼吸をし、気を引き締めて起き上がった。
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次男の準備を終えて、保育園に送り届けた。
前日のお迎えのときに、「次男くんは園に任せて!長男くんについててあげて!」と言ってくださったと聞き、甘えさせてもらうことにしたのだ。
両家が遠方で、すぐに頼れる人が近くにいない私達夫婦にとって、この申し出は本当に有難かった。
そのまま電車で病院へ向かう。
終始互いに口数は少なかったが、繋いだ手を強く握りしめることで不安感を押し殺しながらどうにか動いていた。
歩きながら、互いに呼吸が浅いことに気がつく。
意識的に深呼吸をしながら、
「大丈夫、大丈夫。」
と、繰り返し夫に伝える。
その言葉を自分へも言い聞かせ続けた。
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面会受付をして、PICUへ向かう。
すると、感染症対策の為両親のうち1人ずつしかPICUに入れないと告げられた。
それなら、先に向かうのは夫にしよう。と提案した。
前日長男が倒れてから、夫は一度も長男を目にすることが出来ていなかったからだ。
「たくさん、管がついてるからびっくりすると思うけど、いっぱい声かけてあげてね。」
出来るだけ明るく言えるよう意識して声をかけた。
きっと引き攣ったなんとも言えない顔だっただろう。
夫も、緊張からか不安からか、少し泣きそうな顔をしながら
「…ありがとう。いってくるね。」
と言ってPICUへ向かった。
私たちに許された面会時間は2時間。
PICU入室時は携帯電話は使えない。
一度入ったら入れ替わりは一度だけとのことで、夫が出てくるまでの1時間、私はとにかく待機室で息子の無事を祈り続けた。