20170709 昧爽の宮古学 実在のアララガマ下地先生

これから書くことは、この絵のように、エスパーにも見えるツカサやユタのことを書いています。noteでは、イラストレーターさんのこのような素晴らしいイラストを使えるのがうれしい。そして、感謝感激です。

「#昧爽」(まいそう)・・・夜明け方。あかつき

と、いう言葉があるのですね。勉強になりました。少しでも多くの人にこの文章を読んでもらいたいと思って、noteの「旅する日本語」投稿コンテストに合わせて応募しました。

さて、私がなぜこの言葉について書きたいと思ったか。

それは、沖縄学ではなく、宮古学という夜明けが見えたような気がしたからです。

そして、このコンテストのテーマは「旅」なのですが、私が旅をしたのではなく、宮古島からいらっしゃった下地先生をいかに礼遇できたか、できなかったか、そのあたりを書いていきたいと思います。(多分、できていない)

「#礼遇」(れいぐう)・・・礼を尽くし、丁寧にもてなすこと。

週末は、神奈川大学の公開研究会「宮古・八重山の御嶽と神社」に行ってきました。もちろん、お勉強しに行ったのですが、一番の目的は下地先生に会うことでした。

http://www.kanagawa-u.ac.jp/event/details_16915.html

下地先生は、宮古市史編纂委員会委員長の下地和宏先生です。実は、下地勇よりカッコいいんじゃないかと、友人であり宮古研究会@沖縄文化研究所のMさんと話すほどです。

4次会終電までご一緒させていただいましたが、首尾ブレることなく、宮古にいるときとひとつも変わらない下地先生でした。そのアララガマな宮古的発言に感動していました。ととえ、酒の席でもブレない。

アララガマ 宮古島では「不屈の精神」と訳される事が多い。
詳しくは、こちら

(http://motoca.ti-da.net/e985557.html)

沖縄の男は、酔っぱらいでだらしなくてというイメージで語られますが、私は宮古の男性は意外とそうではなく昔気質で真面目で、まさに「びきどぅん(男)」という感じの人が多いように思います。

少なくとも、私の知り合いの宮古の男は7割がカッコいいです。残りの3割が悪目立ちしているのが、悪口を言われる要因かと。

さて、下地先生の報告「宮古の御嶽(うたき)と鳥居について~その背景を考える」ですが、正直難しかったです。とほほ。

要は、宮古での神社の成り立ちと、御嶽との関係でしょうか。

ですが、最後の質疑応答で、下地先生が「宮古に神社は2つ。漲水神社(漲水御嶽)と宮古神社のみ!」と明言されていました。

琉球弧においては、鳥居はシンボリックに切り取られがちです。ですが、宮古の各集落の御嶽に残されているものは戦前戦後の宮古、琉球、日本の関係性やその時代に生きた人々の行動の結果なのだと思います。

詳しく知りたい方は、大岡山まできてください。レジュメを見せて、その時の内容はお話できると思います。今なら熱く語れる。

個人的には、アイデンティティとかオール沖縄とか天皇制とか、政治的なことで取り上げられやすいネタだな、と思います。ですが、東京で、100人近くの聴衆の前で、そういうことはすべてさておいて「宮古は宮古である」と言い切った下地先生を尊敬してやまないです。

また、今回は、御嶽について言及がたくさんありました。

写真家の比嘉 豊光 さんの「ナナムイ」(宮古の祭祀映像)は、すごく西辺らしい映像でした。西辺は、宮古の中でも新しい村で、県内でも珍しく祭祀行事が共同体として残っているところでもあります。

石垣市立博物館協議会会長の大田 静男さんの「御嶽の神々と八重山神社建設」 という発表もありました。宮古とライバルと言われる八重山ですが、なぜそうなのか、少しわかった気がしました。精神的な立脚点が違いすぎる。

神人であるツカサが、血統主義的な石垣と個人が神に指名される宮古。

それがわかっただけでも、大きな収穫でした。

裏話もいっぱいあるのですが、さすがに書ききれません。

今回は、たくさんの人に会えたことと、宮古の死生観について考えたことなど、少しずつまとめていきたいと思います。

第二部の質疑応答で、ツカサ(神行事をする女性)に関する質問をしたところ。比嘉豊光さんに「宮国さんは『神になれるよ』と言ってあげたい」と名指しされました。(相変わらず、比嘉豊光はやってくれる・・・)

私が四次会まで行った理由は多分そこです。ほとんど飲み会は行かないので。

二次会のマイクを使った挨拶では「比嘉豊光さん、『神になれるよ』は間違いです。なぜなら私は神(の子)ですから」という発言をして帰ってきました。今思えば、トンデモ発言かもしれませんが、私は幼い頃から「人間はすべて神の子だ」という刷り込みがあります。

ここで使われる神という言葉に、同じ日本語でもまったく違うものを感じています。

宮古では、神とは、日本的な垂直の神ではなく、水平な神であり個人的なつながり。まさに下地先生など、私にとってはある種神人でもあるという世界観です。だから、私も神の子なのです。

わたしのなかに、神概念が豊かな共同体が深く根付いているからかもしれません。そして、神との対話は、個人的なものだとという気持ちはゆらがないのです。

私は、今年、47歳なのですが、宮古ではだいたいこの頃にツカサへの道が開かれていきます。

私は、歌も踊りも下手ですし、東京に住んでいるので、平良市内のシティガールなので(ここは笑うところです)ご指名は一生ないと思います。

ですが、神と個人の契約があるとすれば、指名されれば逃れられないのだとも感じています。そして、それは地域の共同体だけに限った話でもないと思うのです。

ツカサでユタであった祖母が生前よく言っていました。

「優子、あんたの時代は、ユタになる必要はない。人を助けることは、どんな職業でもできる世の中になるのだから。」

この言葉は、人間は必ず人助けをしなければいけないという前提です。「人が生きていく上で、やらなければいけない人間としての仕事」であるというだけです。言ってしまえば、宇多田ヒカルさんの人間活動にちかいのかもしれません。

もちろん、ツカサもユタもお給料が出るような現代的な職業ではありません。ですが、特にユタは、神からの仕事以外のことがまったくできないのでお礼はもらい、職業のようにも見えます。

祖母は、現実的な職業を持ちながらも、その仕事ができるのだ、ということを言っていました。兼業か・・・?未だ謎です。

このあたり、そして、今回のシンポジウムで考えたことは、また、書きます。

最後になりますが「宮古学」という言葉は厳密にはありません。ですが、こうして薫香を受けたと思っているような人(それは私)が宮古を表現していくとうのも、ひとつの宮古の昧爽を感じさせるものではないかと思うのです。

宮古の先人たちの思いをどうやって文字に落としていくかが、私の情熱のみなもとです。

ちなみに、SAKISHIMA meeting(サキシマミーティング)は、石垣島出身の三線唄者・新良幸人(三線・ヴォーカル担当)と宮古島出身のアーティスト下地勇(現下地イサム。ギター・ヴォーカル担当)により結成された音楽ユニットです。wikiより

仲良くないから、まずはミーティングっていうことだと、神大のS先生から教えてもらった。かっこよすぎる。

宮古の昧爽は、芸能から端を発しているのかもしれない。與那城美和さんやHIRARAさんなど、宮古の女性アニミズムがこれから大きなうねりとしてやってきているような気がしてたまらない。

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非文字資料研究センター2018年度第1回公開研究会「宮古・八重山の御嶽と神社」

2018年7月7日(土) 13:30~18:00

会場
横浜キャンパス 23号館206室

プログラム
総合司会:津田 良樹(非文字資料研究センター客員研究員)
開催趣旨:後田多 敦(非文字資料研究センター研究員)

第1部 報告
報告1:「宮古の御嶽と鳥居について~その背景を考える」 下地 和宏 氏(宮古市史編纂委員会委員長)
報告2:「御嶽の神々と八重山神社建設」 大田 静男 氏(石垣市立博物館協議会会長)
報告3:「ナナムイ」(宮古の祭祀映像) 比嘉 豊光 氏(写真家)

第2部 討議
コーディネーター:後田多 敦
パネリスト:下地 和宏 氏、大田 静男 氏、比嘉 豊光 氏

横浜キャンパス28号館2階
電話:045-481-5661(代) 内線:3532
非文字資料研究センターWebサイト

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