20180417-18 多謝・ガールフレンズさま
朝イチで書こうと思ったけど、なかなか時間があかない。習慣化って難しい。
なので、2日分。
一日目、午前中に仕事をして、午後に友人と会った。今や、時の人だけど、私にとってはひとりの個人であり、友人。村中璃子というよりは、りこちゃん。
彼女が有名人になろうと、世捨て人になろうと、私はずっと友だちだと思う。久しぶりに相変わらずのバカ話をして楽しかった。
私が今の状況を話したら「優子さん、ご飯食べよう!元気をだそう!」と言ってくれた。正直、元気なんだけど、変転の多い人生なので、心配になるんだろうと思う。さすが本土の人。島的脳みその私は、なるようにしかならないと思っている。
私の親しい人たちは、私より私のことを心配してくれる。ありがたい。私はどれくらい返せるだろうといつも心配になるくらいだ。来世で返す!
彼女との出会いは、今はもうぼんやりなのだけど、民俗学系、社会学系の集まりで会ったと思う。私の仲の良い友だちは、多分、世の中の尺度に合わせると、ちょっとぶっ飛んでいるのかもしれない。他にも、この系で集まった友人は、衝撃的に面白いひとがいる。アラカキヒロコとか。矛盾にみちた存在、笑。
友人らは、姫タイプかクイーンタイプが多い。変な駆け引きがない。真正面からぶつかる。やっぱり正統派じゃなくちゃ、笑。
姫は、たいてい騒がしい。さすがプリンセス。
クイーンは、実はなかなかいない。肝が座ってる。
多分、どっちも真面目なんだと思う。問題が起こっても、ギリギリまで自分で処理していろいろ言わないので、わからないことも多いし、言ったとしてもまっとうで感じよく言ってくれるので、こっちも余裕をもって対応できる。
そうじゃない時は、珍しいので、ちゃんと聞くようにしている。
友人らは、だいたい上下10歳くらいかな。1970年生まれの私たちの世代は、ヒッピー世代と呼ばれるらしい。バブルと崩壊のちょうど静かな時期に社会に出ている。いろんな意味で過渡期世代だとは思う。
あれから家族制度や労働環境のような社会的状況はもちろんだけど、瑣末なことまで、テクノロジーを介しているせいか加速度的になった。情報の格差から、意識の格差まで、あらわになった。
男性よりも女性の変わりようのほうが、私には興味深い。
2002年生まれの長女のお母さんと、2011年生まれの三女のお母さんは、すごく違う。若いお母さんは20代後半だけど、末っ子高齢出産だと、50代中盤だったりする。ぼやっとして、意識せずに話すと、その違いに愕然とすることもある。常識ってこんなにも短い間に変わるもんだろうか。
数年前には考えられないほど、意見が多様性を帯びているように思う。
私より上の親しい友人らは、男性社会のなかで自分のポジションを意識的に選び取ってきた。あまり愚痴とか聞いたことはない。我慢というより覚悟がある。しぶとい。これは別に職業は関係なく。
私より下だと、制度も整ってきて、より発言し、行動しているように思う。覚悟はもちろんある。
でも、戦っているわけではない。フェミな感じじゃなくて、ただ意見を言っているだけだと思う。それどころかメンタリティはかなり女性的なひとが多いように思う。人間としての尊厳に近いところで、発言してるのだけど、強く聞こえるふしもある。良い加減はむずかしい。
私たちの親の世代は同じことを思っていても、もっと我慢したのかもしれないし、そもそもいろんなことを考える時間すらなかったのかも。
これを伝えるのって難しいよなぁ。女の人が何か言うだけで、身構える男のひとは結構いる。女性は守ってあげなきゃ!という昭和的男らしさの現われでもあるのだけど。
人間自体はそんなに変わらないと思う。身体のデザインだって変わらないように。ただ可視化しやすくなっただけだ。そして、女性が個人として、昔より世間に仁義がきれるようになったからかもしれない。
娘たちの世代は、彼氏が女の子っていうのもあるかもしれないしなー。
ちなみに、宮古ではよく「お前は人間か!」と怒っている言葉を聞く。人道的にどうかってことなんだと思う。「女のくせに」「男のくせに」と言った時点で負け犬決定なのである。
女だてらに、ってことは言うような気がする。それは賞賛に近い。一番座の女と言われて怒り狂っていた日が懐かしい。私は、キングにはなりたくないので、クイーンオブクイーンズってことにしておこう。決して、姫ではない。残念。
あぁ、二日目の今日は、気づきの多い、ほんとに多すぎて書けないくらいの濃い一日でした・・・。