論説 神の存在証明(11)分断された世界を救う鍵は宗教にあるのか【短編集:創作1000ピース,67】
【はじめに】
この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。
「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。
論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。
論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。
信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。
【前回の議論】
余談その5:分断された世界を救う鍵は宗教にあるのか
思想の違いが敵を作り、世界を分断させる?
宗教はしばしば紛争の火種になり、世界を分断させてしまう。
その性質をあえて利用して分断を大きくしようとする第三者もいたりするが、ともかく思想の違いは分断に繋がる。
特に、他の思想を受け入れられなかったり、他方を排除するような思想があると、敵対関係が生まれてしまう。
「異教徒」「異端」という言葉が、相容れない人間をより際立たせ、敵対を意識させるように仕向けている。
単純に「信者」と「それ以外の人間」をわける言葉だが、その言葉を建前に利用され、争いが起こったことは事実だ。
政治的、民族的ないさかいの火種があり、宗教が全ての原因ではないこともある。
だが、「仲間」と「それ以外」を分けることによって、対立関係が生まれやすくなると想像する。
自分の世界の境界線を繋げていけば
宗教が入り込んだ生活を送っている人は独自の世界観を持っている。
他人の心は見えない。
宗教レベルではなくても、他人である以上、考え方の違いはあり、個々人が独特の世界観を持ち、その世界観の輪の中で生活しているように見える。
宗教が違う、信じる神の違いにより、思想が異なり、相容れないことがあるのは理解できる。
だけど、少しずつ、自分の世界観の輪を広げて行き、他人の世界観の輪と共有する部分を作っていけば、分断された世界は緩やかに繋がっていくのではないだろうか。
まずは違うことを受け入れる
完全に世界をひとつにしなくてもいい。
全人類が同じ思想に染まらなくていい。
同じ理想を追い求めなくてもいい。
人それぞれでいい。
異なる精神世界が存在しているという事実を認め、受け入れる。
互いの思想に染め合おうとするのではなく、自分の心の境界線を広げて緩やかに他の世界と繋がっていければいい。
ただし、心の境界線を広げすぎて、相手の心の不可侵領域に踏み込まないように、それだけは気を付けよう。
〈余談その5:了〉
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余談その6へつづく……。
*** 創作1000ピース ***
たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。
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