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論説 神の存在証明(2)【短編集:創作1000ピース,58】

【はじめに】

この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。

「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。

論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。

論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。

信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。



【前回の議論】



第2論:「存在する」とはなにか?


神の存在証明。

証明するのは「神の存在」だ。

証明をするには、「神」と「存在する」の定義が必要であると思う。
なので、まずは単純に言葉の解釈を試みたい。

「神」とは何か?

これは命題の主題であり、核心的な部分でもある。なので後回しにして、「存在する」とはどういうことか、考えてみたい。

「存在する」とはどういう状態か?

例えば、テーブルにリンゴが置いてあったあったとする。

「リンゴがある」

つまり、リンゴは「存在」している。
それは目で見てもリンゴであり、触っても、匂いを嗅いでもリンゴと認識できる物体が現実空間にある。
だから、私たちはリンゴが「存在している」と認識出来る。
五感を通して、物質を感知するわけだ。

わたしがテーブルに置いたリンゴを、目を離した隙に誰かが食べてしまったらどうだろう?
食べられない芯はゴミ箱に捨てしまったとする。

当然テーブルの上には何もない。

わたしが再びテーブルにやって来た時、「ここにあったはずのリンゴが無くなっている」と思うだろう。

食べた張本人もそこにあったリンゴを、自分が食べたから無くなったと認識する。
食べてしまったリンゴは「存在しない」状態だ。

それはわたしも食べた張本人も「リンゴがある状態」を認識していたからこそ、あった状態と比較することで「ない」「無くなった」と存在を認識出来るのである。

「存在している」状態があるから(定義されているから)こそ、その対比で「存在しない」状態がわかる。

そもそも最初から存在しないものに対しては「存在しない」と認識することは難しい。

テーブルの上にリンゴが置いていない状態で、「リンゴがない」とは言えない。

テーブルの上には何もないのだから、「リンゴはない」という表現は正しいが、それは「キウイ」だろうが、「バナナ」だろうが同じこと。
リンゴ「が」ない。と、リンゴ自体の存在を問う思考にはならない。そこには最初から何も無かったのだから。

ゼロの発見が革新的と言われる理由はここにあるのだと思う。

最初から何もないものを「ない」と認識するのは難しい。

従って、「存在しない」ことの定義は難しそうだ。

しかしながら、「神の存在証明」については、神を信じている人がすでにこの世に存在しているわけだから、「神」が「存在している」ことについて証明すれば良いわけで、「存在している」ことの定義さえ、はっきりしていればよさそうだ。

少し脱線したので元に戻す。

物質に対しての存在の有無は、五感を通して感知・認識することが出来る。存在しないことの定義は存在することの対比として認識することが出来る。

さて、ここで主語が物質ではない場合はどうだろう?

例えば物質ではない愛や誠実さの存在はどうやって認識するのだろうか?

愛は、誠実さは見えない。
感じることは出来るかもしれない。
でも、その感じる程度も人それぞれだ。誰かにとっては愛でも、別の誰かにとっては愛じゃないかもしれない。
誠実さだって同じだ。誰かが思う誠実さは誰かにとっては不誠実と感じるかもしれない。

主語が物質ではなくなると「存在」の定義が曖昧になる。
存在の判断基準は人それぞれだからだ。

さらに、存在の判断基準は主語によっても変わりそうだ。
物質があるかないかは明白だ。リンゴであってもバナナであってもあるか、ないかの判断基準は一意に決まる。

主語が愛の場合、誠実さの場合、勇敢さの場合、卑劣さの場合、判断基準は変わるだろう。判断基準は人に依存すると語ったが、大切にするもの、怒りの閾値、我慢できる範囲は人それぞれなので、人それぞれの判断基準があることになる。

さて、主語が「神」の場合だが……。
神の定義について語るのはこれからだが、ここで言えるのは神は物質ではない。

ここまでの「存在している」の定義と組み合わせると、神の存在は人それぞれということになる。

ここで序論で語った結論に至ってしまったが、完結してしまうのはまだ惜しいのでもう少し議論を続けたい。

次は神の定義について考えてみたい。
宗教や日常で神様を感じるシーンを参考にしながら、神とは何か考えてみる。

第3論へつづく……。

 



*** 創作1000ピース ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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