論説 神の存在証明(7)【短編集:創作1000ピース,63】
【はじめに】
この「【論説】神の存在証明」は「神様はいるのか?」という問いに対して著者の考察をまとめたエッセイです。
「神とはなにか?」「存在するのはどのような状態なのか?」という、言葉の定義を出発点とし、宗教や神話を例にして、「神の存在」について論じたものです。
論理的、科学的な側面から神の存在と神とはなにかを論じており、宗教、オカルト、スピリチュアルな要素は含まれておりません。
純粋に哲学的な思考で論理を展開しています。
論説で語られる宗教に関する知識はすべて著者が書籍等から得たもので、そこから著者が感じた印象も含んでいます。
信仰を批判したり、信仰心を傷つける意図はございませんが、何かしらの宗教を信仰している方、神の存在について強い信念をお持ちの方は不快に感じる可能性がありますので、閲覧をお控えください。
【前回の議論】
余談その1:神を信じている人間には神はどのように映るのか?
ここからは本論から脱線してしまう話を、いくつかに分けて語っていく。
一神教の神様について気になること
一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の同じ神と言うが、果たして信者の皆が思う神の姿は同じだろうか?
姿、イメージは重要である。
姿形が思い浮かばないと具体的にぞれがどのようなものであるかは理解することは難しい。
現実に姿形を持って存在しないもの、または目に見えないものを、複数の人間が同じように認識するのは至難の業だと思う。
例えば、ラザフォードの原子模型とか、太陽系の惑星軌道が挙げられる。
いずれもこの世には存在しているが、目にすることができないので、「こんな形をしている」と模式図が教科書や図鑑に描かれている。その絵をみることで、原子や太陽系の惑星を直接目にすることはできないけれど、原子核の周りを回る電子や太陽を周回する太陽系惑星のイメージを共有できるのである。
(量子学的にはラザフォードの原子模型は適切ではないのだが、一般的に知られているイメージを用いている)
絵や図は他人と共通のイメージを共有することができる
要するに絵や図が人間の想像力を助けてくれる。共通のイメージを思い描くことが出来る。
一神教は原則偶像崇拝を禁止していたり、神の姿を絵に描くことを禁じている。
特に厳しいのはイスラム教で、開祖ムハンマドの肖像画を描くことも禁じている。
イメージする絵がない状態で、信者はどんな神の姿を思い浮かべているのだろうか?
絵がないなら、それぞれの人が思う神の姿はバラバラだと思う。
そもそも、姿形すら想像してはいけないのかもしれない。
他人が信仰する神様の姿は私には見えない
信仰とは、ひとりの人間と神との対話である。
神の存在は神を信じている信者の心の中にある。
その心の中には信者が思い描く姿形をした神がいるはずだ。
その神の姿は他人には見えない。
ある神を信仰している人を、私が外から眺めている図はこうなる。
私には見えない(=存在しない)けど、信じている人の心の中にはきっと神様がいる(=存在している)。
私には見えないものを信じている人がいる。
それはすごく不思議な話だ。
〈余談その1:了〉
*
余談その2へつづく……。
*** 創作1000ピース ***
たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。
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