ハッピーエンド【エッセイ2】
わたしは、ハッピーエンドしか知らない。
正義は、誰かの正解を定義する。
正解に対しては、間違いがある。
誰かAにとっての正義は、誰かBにとっての間違いだ。
そして、誰かBにとっての正解は、誰かAにとっての不正義になる。
不正義を正したい熱情は、怒りとなるだろう。
怒りと怒りのぶつかり合いが形を迎えるものは、
この星の日常にいまも溢れている。
わたしも、「正義」を振りかざした頃がある。
後悔したことがある。
正義は、正しさを背負う。
君は、本当に、間違わずに生きられるか。
「幸福」を、掲げてみるのはどうだろう。
幸せとは、何か?
沢山の友人達と食事をすることか、一人飯か。
長風呂か、烏の行水か。
ランニングか、喫煙か。
子どもを産むことか、産まないことか。
人を好きにならない女性達も、この星にはずっといたのに?
君の間違いは、指摘されるだろう。
しかし、君の幸せは、誰が不幸せだと言えるだろう。
同じように、君は、彼や彼女に、
何を以て、不幸だね、と言ったのか。
人間はみな、幸せになるために生まれてきた。
わたし達は、みな幸せにならなければならない。
これは、人類の信念だ。
わたしは、ハッピーエンドしか知らない。
人の愛すべき正しさも間違いもすべて包み込んで、
80億人の幸福という、
1つの答えに向かう、
社会が要る。
そんな社会は、きっと複雑だ。
正義を振りかざした後の誰かAが、一服していた。
「それは、きっと間違いだ。」
と、誰かBが、後ろから笑って声をかけた。