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誰かがそばにいてくれる、ということ。

先に断っておくと、これは色恋の話ではない。

もしかしたら、いつかどこかでそんな話もあるかもしれないけれど。今は違うと言い切れる。
これはもっと大きくて、大事な話だ。自分を取り巻く大切な人の存在を、心の一番柔らかい部分で感じた、という話。
だからちゃんと書き留めておきたいと思った。


「あなたは、柔らかくないのよ。そのうえプライドが高いから、無駄な鎧を着ていて、しかもそれが尖っている。そんなんじゃ誰もあなたに近づこうなんて思わないわよ。甘い。しなやかさを手に入れなさい。」

ある人がそう、私に言った。この人はなんて辛辣な言葉を、弱りきっている私に差し向けるのだろうと思った。でも、同時に「その通り」だと、自分のなかに最後に残っていた理性が頷いた。

ここしばらくの私は「自分を責める自分」に負けてしまって、なぜそうなってるのかと冷静に考える思考力を外へ投げ捨てていた。
「自分を責める自分」という内面的な第三者は、ひたすら自分のやったこと、考えたこと、発した一言一句まで、とにかく責め立てる。

それらから自分を守ろうとするあまり、自分以外の人やもののせいにして、結果的にたくさんの人に迷惑をかけた。
迷惑をかけた、なんて、甘い言葉ではすまない。

でも、いま私はまだここにいる。ありがたいことに。

水の中で、最低限の浮力で静かにそっと丸くなっていると、水面に出るか出ないかのところに留まっていることができる。そんなふうに潜っていろんなものをシャットダウンしていても、水というのは波を起こして、私の鼓膜や肌に振動を伝えてくる。いいものも、わるいものも。

でも、そんな状況でも「ゆっくりと浮かんでくればいいのよ」、と私を柔らかく守ってくれる人たちがいてくれた。

休め、と言ってくれる人がいた。
取り乱した私の話を散々きいてくれた人だった。
ただ、休めという軽い言葉ではなく、心配だ、と言う強いメッセージをこめてくれた。そして私に有無を言わせずに、取り計らってくれた。
それがなかったら、私は頑なまま壊れていっただろうと思う。

「疲れた。誰とも会いたくない。でも寂しい。」
と呟くように連絡したら、すぐに仕事を調整して私を外に連れ出してくれた人がいた。
ただ、木陰の下で本を読む時間をくれた。それだけで、自分がそこにいていいと思えた。

大親友と呼べる友だちは、ただ私の心に沿ってくれた。
それでいい、とずっと肯定してくれた。自己肯定感など失墜し自分を責める気持ちと、それと戦うための虚勢が一緒くたになって、もう見分けもつかないヘドロになっていたところに、優しく綺麗な水を注いでくれた。
べったりとくっついて離れなかったものが、さらさらと流れ始めた。

そして、誰よりもわたしを守っていたのは、母だった。
というか、そのことに気づかないくらい、本当に優しく包んでくれていたことを後になってしみじみと実感した。

私を産んで、私を育てた母は、やはり年老いても母だった。
何も聞かずに、何も知らないふりをして、いたっていつもどおりだった。
私も何を言うわけでもない。ただ、いつものように暮らし、心の中に棲みつき攻撃してくる第三者を隠して、平穏な顔の仮面をかぶっていた。
だって心配させるわけにはいかないと思っていたから。
でも母は、間違いなく私の変化に気づいていた。
思い違いかも知れない。でも街なかで目の悪い母の手をひく私の手を、しっかりと握り返してきた時があった。あの時、私の方が手を引かれているように感じた。
母がその時私のそばに偶然にもいてくれたことを、心から神様に感謝した。

母が帰った後、私はやっと初めて声を出して泣いた。分からないけれど、とにかく声と涙が止まらなかった。そうしたら、私に心を向けてくれた人たちが丁寧に選んで伝えてくれた言葉や声の波が、やっと私の周りを揺らして、私の頬を撫でたような気持ちがした。

寄せては返す波。
ひと波返すごとに、じわじわとわたしに作用した。
それで少しずつ少しずつ、頭を、顔を、手を、水から引き上げ、浮力に身を任せることをやめた。

まさか、自分がそうなるなんて思ってもみなかったことだった。
でも、深く深く潜ってしまいたい衝動がどうしても抑えられなくなる瞬間は、誰にだってあるものだ。
そう捉えてみたら、思ったより普通のことなのかもしれない、と、すんと軽くなった気がした。

ときに誰かは誰かを支えて、またその連鎖をする。
生きるというのは、そうやって巡っているんだなと思った。

私の場合、こうやって書くことで消化ができる。
それに気づかせてもらえたことは、本当にありがたかった。

言葉を紡ぐというよりは、吐き出すに近い。心のなかに溜まった澱を吐き出す。できれば、少しでもきれいな言葉で。
そうやっていれば、吐き出してからっぽになったところに、心地のよい言葉を満たせる気がするから。

心にきれいな言葉が満ちたら、やっと見るもの・感じるものが美しい言葉で形容できるようになる。そうなったらもう少し。

潜るために息を止めて、脳も何もかも機能停止していたあの夜。それしか術がなかった。
でも今夜は、雨に濡れた草木の匂いをゆったりと肺にためて、すうっとひとつ深呼吸ができた。
明日の朝は、またもう一つ深く呼吸ができるだろう。

まだまだエゴの塊だし下手くそだけれど、もう少しだけ自分をいじめずにうまく生きることができますように。

もしつらい気持ちを抱えるあなたがそこにいるのなら、あなたのそばに、誰かがそっと寄り添ってくれますように。
明日の朝、少しでも楽に息ができますように。

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