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ヒプノセラピーで見た光景

ヒプノセラピーは面白い。と思った。
自分で目覚めながら夢を見ている感覚がある。この認識で正しいのだろうか。

どうにもこうにも自己肯定感が低く、何かにつけてよく立ち止まって考え込んで動けなくなる私は、ヒプノセラピーを受けてみることにした。全6回のコースを申し込んで、この間の5回目のときにとても綺麗な風景に出会ったのでなんとなく書いてみる。

誘導瞑想みたいなもので、リラックスして、ぼんやりしているところに浮かんでくる情景や、文字をセラピストに伝える。始める前にどんなことをテーマにしようかと雑談まじりのカウンセリングをして、横尾忠則のT字路が異世界に行きそうで好きという話をしてたので、絵の中の3本の道を選んで進むことにする。どこを選んでも、自分に必要な場所に行く設定。

右の道にしようかな〜と思っていたら、白い羽がフワッと真ん中あたりを横切った気がして、真ん中の道を選んで歩き始める。白く乾いた、踏み固められた乾いた道。両側に短い草。単調な道。晴れている。空も見える。退屈な道。
周りに何か見えますか?と聞かれてみると、少し先に青い屋根が見える。緑の壁と手すりが見えてくる。大きくはないが4人くらいの家族は十分住めるくらいの大きさか。でも人は見えない。留守かな。家の周りを歩いてみる。裏に池と庭がある。家の半分くらいの、小さな子を2〜3人遊ばせておけるくらいの広さ。(何故かこのとき、自分が家事をしながら、子供を見れるくらいの小さな庭、だと思った。)池には金魚が2匹泳いでいる(マティスの金魚みたいな)かわいい。

さらに家の周りを歩いてみると、手すりに白い鳩が止まっている。鳩は逃げるそぶりがない。セラピストの「触ってみる?」との問いに、やさしく撫でてみる。うれしそう、かな?私の顔を見上げる。何かを待っているみたい。何を待っているのか聞いてみる。主人?私のような人。とのこと。鳩に案内してもらうことにする。

鳩は私の左肩の上に乗っかっている。庭の裏あたりから、道があって、あまり舗装されていない。黒い土。肥えている土地の道。じきに目の前に大きな柳の木がアーチを作るように、道側に2本、葉をしなだれている。ふと、右側が低い土手になっていて、川が流れているのに気が付く。ゆっくりさらさら流れている。ボートが止まっているのも見えた。この辺りのくだりで、なんだかいいものが先にありそうでワクワクしてきている。もちろんボートに乗る選択をする。柳の木は水のうえにゆったりと葉を泳がせている。水面は黒く底は見えない。オールを手に取り、水を上流に遡る。手には抵抗感がない。

そういえば、全体に春の雰囲気が漂っている。まったりと、ポカポカする陽気。水の上に白い。。。見上げると川沿いに桜が咲いている。大きな桜の木。船を桟橋に着けて、桜のあるところへ上がっていく。

ものすごい桜の満開。1本の桜。大きな木の根元に、小さなお地蔵さんを見つけたとき、なんだかわからない感情の塊が込み上げてきて、涙になってしまった。なんかもう泣ける。。。としか言えない。お地蔵さんは20から30センチくらいの大きさで石をくり抜いて彫られている。月日の経過を感じさせる、角の取れた丸みのある、石の造形。目を伏せているお顔。道祖神っぽくある。

そのお地蔵さんが黒く、濡れたような桜幹の根元にちょんと鎮座している姿。その上は、桜の満開。みたこともない大振りの白い嵐。白と黒のコントラスト。ものすごい劇的な風景が、どんと迫ってくる感覚、なんというか、とても尊い感じがした。この場面をいろんな角度で写真に収めた。写真は青い箱につめて持ち帰ることにする。いつでも見ることができる。

今回のテーマは、「美」「美しいものを見るために生まれた。それだけでいいじゃん」私のなまえにひらがなの「み」があるのですが、とても美しい字だなぁと思いました。

終わった後にあの桜の木とお地蔵さんを思い出していると、あの美しい桜は、かの『桜の樹の下には屍体が埋まっている』という文言を思い出します。美しいものの反対側に醜いものがあるのです。それはもう当たり前に。美しいものが表に出れば出るほど、底のほうにある暗い醜いモノも浮かび上がってくる。あのお地蔵さんはその上と下の間に鎮座している。真ん中にいて、どちらも感じているんです。


桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

梶井基次郎『桜の樹の下には』より冒頭抜粋

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