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230113_色々勉強している人はメンドクサイ

たまに色々勉強している人に遭遇することがあるのですが、なんか面倒くさいなーと思うことがあります。

ここで言う勉強というのは探求とか言うよりも、既に世の中や社会に出回っている理論とか方法とか考え方とか従来からはびこっているもの、そういったものをインプットしていることを言っています。

インプットを沢山行うと知識の蓄積が起きますが、過度にそのような状態を作ってしまうと柔軟なモノの考え方や他人との会話ができなくなってしまうように思います。他者との会話でも自分が勉強してインプットしたものに常に当てはめて考えるので、【あー】と白けてしまうんですよね。人間って事前に予想していたことが予想通りに起きるということが続くと退屈になってくる傾向を持っていますが、もうこれがずっと続いたのならそれはもはや地獄ですよね。常に勉強した理論、考え方を人に当てはめてみる人ってのは退屈ってことで。

勉強した理論とかを型として持っていていいと思うのですが、【それが全て】の前提になるとして色々な出来事やヒトの心理に当てはめることというのは数学で言うような方程式があって、人間はその方程式通りなんだと主張するもので。現実を生きているとわかると思いますが、まあ全てが方程式になっているわけじゃないじゃないですか~。人間は感情、思考、行動という異なる分野の異なるパターンの無数の組み合わせで行動しているので、人間が編み出したぐらいの方程式に全ておさまるわけがないだろうと思っています。勿論、感情、思考、行動のどれか一つを申し訳ない程度にしか使っていない人は方程式通りのパターン的反応を随時見せているのでそういう人は方程式通りです。

何かを勉強するのは社会を生き抜くためのオプションとして行っていいと思いますが、やはり生きるという壮大なテーマで見たら勉強するってのがめちゃくちゃ重要なものになるか?と言うとそうではないですよね。

どうやったらラッキーな出来事に日々遭遇するか?ということを勉強されているかたも結構いらっしゃるかと思いますが、そういうのに興味を持つのは若いうちだけですよね。段々、年齢が重なってくるとラッキーとか幸運とかそんなことで氣にできなくなるわけですよ。肉体も若いときのような状態ではないですし。それよりも毎日、どのように生きて天寿を全うするか?になってきますから、知識やノウハウの蓄積などある時点を境に対して役に立たないんですよね。

・・・という感じで思っているので【色々な分野を勉強している】という人を見て、なんか弾力性がないな・・・と感じてしまうことがあります。


クリスタルフラーレン


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