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230103_働いて休日はショッピングと・・・永久に繰り返されるメリーゴーランド

人間ってのは疲れたり精神的な疲弊を起こすと快楽のほうに彷徨うという癖を持っています。快楽を満たす手段は様々あります。漫画とか映画とかテレビ番組などのコンテンツ、風俗、キャバクラ、ショッピング、ブランドもの、マッチングアプリ・・・

今のインターネットであったり街で見かける広告というのはこういう人間の癖を利用して存在しているもので。自分が意識的に氣晴らしの手段を選択しているようでしていないというのが実態です。疲弊するように誘導され人間の癖を利用して操作されていることに氣が付いていないだけで。

まあそういうものですよね。いつでもあるのは経済の奴隷で。

生まれてから社会に出て社会に揉まれるけども揉まれ過ぎて、何で生きているかよくわからんくなり、その状態で終生過ごす感じ。自分の周囲も似たような感じだから、そのスタイルに段々違和感を抱かなくなり、自分の今いる環境が常識となっていく。

たまに動物などの目をやると。動物は何だかお金に囚われていないし、人間よりも早く死んでいくのも沢山いるけど兎に角、生命を全うするように毎日、生きているように感じる・・・少なくとも現代人よりは。そして、人間というものに目をやると。動物のように毎日、精一杯生きているのか?問うてみると、【う~ん・・・何だか惰性の日々が多くて人間としてちゃんと生きているのか・・・】と思うことが出来れば、まだ違う道を歩めるかもしれないですね。

こんなことなら、社会なんて出ないほうが良かったのでは・・・と思うこともありそうですが、それもちょっと違うなーと個人的に思っています。人間というのはある程度のルールを意識的に守っていかないと、とことん獣以下のような存在に成り得ます。社会もろくに経験せずにお金だけもてあまして起業なんて行う人間、俺は自由人!みたいな人間を見てみると、なんか違うんですよね。そこにある時期、人が集まったり注目されることがあってもホンマものじゃないよねと。

自由人ってのは聞こえはいいですが、社会というものをくぐっていない人間は無作法で信用できるかという観点で言えば簡単に信用できないのです。約束事もルールも氣ままにすぐ破るんですよ。自由人だから。今日はメンドクサイので営業はお休みしますということを平氣でやります。

という感じで社会をくぐっていくのは極めて大事なんだけど、そこにある常識が自分の生命そのものか?と言うとそれはまた違うということで。社会をくぐる前の自分とくぐってからの自分を比較したらわかるように、自分というものがちょっとずつ意識的に見えてくるんですよね。社会をくぐっていくと。そしてその見えてきた自分をさらに自分なりに洗練させていく、磨いていくプロセスに入っていく・・・そう入っていければいいのですが、多くの人はそこでとまって経済に囚われ社会に囚われ、そこでグルグル同じところを回ってしまっています。そして働き、心が疲れてくると休日には他人よりもいい生活していることを自覚できるように【良いもの】【良い品質を持てっているサービス】【良いオンナ】【良いオトコ】という刺激を受けるために街を彷徨います。今では街だけでなくインターネット内を彷徨います。

そして一通りショッピングなどで散財するとまた働いて疲れて同じことを繰り返します。同じところをグルグル回るメリーゴーランドにはまって出られなくなります。でもそのようにはまっているなんて認識しません。人生そんなもんだろ?と片付けるのです。

まあこんな感じで今自分が流れている経路を何となく俯瞰して、あーなんかこういう生き方に時間使うのはもったいないなー、でも別の道ってあるんやろか?ぐらいに想えたら、別の道が出てくると思いますけど。


クリスタル・フラーレン


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