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230821_人間は影絵舞台で影絵を見ている
思考は現実化する
って言葉が登場してから時の経過とともに、もはやこの言葉の新鮮味が失われてきているように思います。
自分の中で思考の次元性というものの理解が形成されつつあって。
【思考が社会を作っている】
とこういう表現が出来るのではないかと思います。
現実化するという現実的な意味合いは、思考が科学で言うところの物質と思われている影を作っているということで。人間が物質と思い込んでいるその物質が何かの影だったということです。
日々の生活で物質を至るところに見かける我々人間は言い換えると物質と思い込むことが可能な影、詰まり思考を見ているということになろうかと思います。
世界は仮説で出来ている
という話がありますが、この言葉だけ見ていると人間が世界と思っている世界は思考でした、と見れたりしますよね。人間は仮説を立てて世界のイメージを建設しているわけですが、イメージなんで世界と言うのは実在はしておらず実在っぽく見える影絵を見ていることになります。
それを現実と呼んでいます。
これは日常を見渡せば納得するところがあるのですが、人間が言っている世界と呼んでいるものの全体の姿を誰も一度も観たことがありませんというところに集約されています。
【知人の〇〇が◆◆という場所で犯罪を犯したらしい】
という噂話がやってきても、誰もその犯行現場を見たことがないように。
人間の社会が過去に何度も戦争を行ってきたとされています。戦争の痕跡っぽいのが出てきてはそれが歴史の教科書に載るわけなんですが、戦争の全体をまるまる見通した人間存在はいません。恐らくですが、色々な物的証拠を繋ぎ合わせて、【〇〇という規模の戦争で、戦争の真の意図は◆◆であった】という仮説が知らないうちに実在っぽくなったと思っているのですが、
反対の平和も同じことが言えます。
〇〇の時代はとても平和であった、とか言われても誰も平和の全体を見たことがありません。物的証拠をもとに【〇〇の時代は恐らく◆◆という平和状態であった】という仮説が知らないうちに実在っぽくなったと思っています。
人間は何も見たことがなかった
人間はお金の実体も見たことがなかった
人間は空氣も見たことがなかった
人間は自分の背中を直に見たことがなかった
人間は自分の顔を直に見たことがなかった
人間は本当の宇宙を見たことがなかった
人間は自分自身の真の姿を一度も自分で見たことがなかった
・・・
人間が見たものは全てイメージ、イマジネーション、想像の世界であった
こういう結論になるなーと思っていて、今の社会も同じく空想、イマジネーション社会と言っていいんじゃないかと思います。
そしてそうとは知らない人達が一生懸命に自分たちが影絵的な存在であることも知らずに【生活を送る】ということをやっている感じで。
人間のライフとは現段階では【想像的なもの】に成り下がっていますが、これを実在の世界へと進化させるときが来ていて。
その移行が果たして無事に行われるのか?
というところは氣にしたほうがいいですよね。
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クリスタル・フラーレン