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230412_枠組みに強制参加すること

枠組みというのは基本的には地球とか人類とか宇宙とか、そういった存在しているものの価値を高めるために在る必要があると思うのですが。

現代だと専ら枠組みというのはビジネスを基本として作られていて。あと社会の存続ですね。それが確保されたら地球の環境破壊も氣にしなくていいし、法律にひっかからなければ何してもいいし、という感じなので今更ながら持続可能な社会とか言い出し始めてますが、それも地球のためというよりは社会の存続のためでしょう。

枠組みに関しては色々思うところはありますが、枠組みを考えているのはごく一部。ビジネスモデルとかだったり。ごく一部の人間は枠組みというものを考えずに既存にある枠組みに乗っかるだけです。しかもお金の流れが安定している枠組みに乗っかるだけです。
こういう状態があるから大企業信仰が生まれ、皆、そこに就職するということが起こりました。

今でさえ大企業信仰は緩んできましたが、それでも多くの人は企業というものを離れたら自分一人では何もできないと思い込んでいるため、何かと力のある人間や組織、人脈を見つけ出しては、なんとかそれに食らいつこうとする感じですね。十分な日銭を確保できそうな人脈のみが価値あるものと見ているのです。

枠組みというのはビジネスに限った話ではありません。住む場所もそうです。誰かが組織が見出した価値というものに価値があるのだと思い込んで、自らにとっての価値とは何?と考えることをしません。他人が信じている価値にただ盲従しているのです。なので大企業が提供した住宅ハウス、箱型マンションにお金はらって住むのが主流です。駅が近い、移動の際、雨の影響を受けない、近所に買い物できるスーパーがある、セキュリティバッチシなどと言う誰かが考え出した価値に価値を置くのが普通です。

価値というのは人口が50億いたら、50億の考え方があって良いのだと思っていて。それぐらいの多様な価値が現実世界に発現してもおかしくはないと思っているのですが、現状だとお金の流れが集中しているところにいる人が何とかして価値や流行というものをこしらえている状況で。そういう状態なので今の社会はユニークと思える価値がカタチとなりにくい環境でもあると思います。
また価値というのも何かと現代では数字に置き換えます。数字が高いほど価値が高いとなっているため、冷静にそのような状況を眺めれる人にとっては【洗脳され過ぎやろ】と思うわけです。
売上は数字が高いほど素晴らしく、費用に関しては数字が低いほど素晴らしいという囚われが社会一般ですから、こんな濃い催眠に多くの人がかかっていてはそら個性というのは生まれんやろと思うわけです。
逆に没個性を推進する動きが加速しています。

売上は数字が高いほど素晴らしく、費用に関しては数字が低いほど素晴らしいという思想を皆で実現するというのはある意味、軍隊的で宗教カルト的なものだと感じます。

ということで既存の枠組みに何の考えもなく乗っかっていると個性というものを失っていくんですよ~。

クリスタル・フラーレン


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