豊島茣蓙
筆者の苗字「豊島」がトヨシマでもトシマでもなく、なぜテシマと読むのか、子供の頃から謎に思っていた。このことは以前この欄でも書いた。その中でテシマという読み方はインチキな読みではなく、瀬戸内海にある豊島という島をテシマ、福島、山形、新潟三県にまたがる飯豊山地をイイデと読むと、実例に挙げてみたが、ここにきて正統性(?)を決定づけるモノが現れた。「豊島茣蓙」(てしまござ)だ。
これを知ったのは、NHKのテレビ番組「新・街道をゆく」の奈良の旅編。司馬遼太郎の名作シリーズ「街道をゆく」を下敷きに新たに編集されたもので、東大寺三月堂のお水取り、(修二会)などが紹介されている。この修二会で修行僧たちが使う敷物が豊島茣蓙なのだ。番組の語り手がはっきり「テシマ」と発音してくれたので、大袈裟でなくハタと膝を打った。
番組を見終わったあと調べてみると、「豊島茣蓙は摂津国(大阪府)豊島郡で作られた蓙。酒樽などを包むのに用い、また雨具などにも用いた」(広辞苑)とあり、「ひつかけて 行くや雪吹きの てしまござ」という去来の句まで紹介されている。修行僧が豊島茣蓙以外に座ったりすると、自分自身が塵になってしまうとか。豊島茣蓙はそれほど「神聖」なのである。
この茣蓙を算出する豊島郡(てしまぐん)は奈良時代からあった、という地域名で、明治十二年には行政区画として発足。その後池田市、豊中市、箕面市、庄内村、小曾根村などに変わり、今は豊島郡はない。これらの市で豊島と呼ぶ町名があるか。調べた限り見つからないが、豊中市には昭和四十年創立の府立豊島高等学校という堂々たる(?)テシマ名の学校があった。
いずれにしても律令制が敷かれた八世紀から摂津国豊島郡が存在したことは確か。要するにテシマという読み方が正統であり、トヨシマとかトシマと呼ぶのは異端なのでは、という気がしてきた。(令和5年7月19日記)