ブログ記事: 「子供たちのために」の真の意味 - 教育現場における多様性と理解の重要性 先日、同僚の先生方との飲み会で興味深い気づきを得ました。教育現場でよく耳にする「子供たちのために」という言葉。一見、単純で明確な意味を持つように思えるこのフレーズですが、実はそこには深い複雑さが隠されているのではないでしょうか。 私たちが「りんご」という言葉を聞いたとき、それぞれが思い浮かべるイメージは異なります。赤く丸い実、カットされた断面、うさぎの耳のように飾られた盛り付け...。
はじめに 本校では、3年生は夏の大会をもって部活動を引退するのが一般的です。しかし、近年は生徒の自主性を尊重する動きもあり、本人が希望すれば引退せずに部活動を続けることも可能です。しかし、この方針に対しては賛否両論があり、活発な議論が続いています。 生徒の自主性はどこまで本心なのか? 私はこの議論の中で、ふと疑問に思いました。本当に生徒の「自主性」は、生徒自身の本心から生まれているのでしょうか? 例えば、私はとある部活動の顧問をしています。毎年4月の職員会議で、私の意
1人の指導員で頑張る部活動 私の通う学校には、部活動指導員がたった1人しかいません。他の部活動には外部コーチが来てくださっていますが、金銭的な理由から、彼らを指導員として雇うことは難しいようです。 2100億円の新たな公的資金 最近、教職調整額が引き上げられるというニュースがありました。追加の公的資金その額なんと2100億円!これは大変な額ですよね。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240419/k10014427371000.htm
今年度も生徒会の立候補者を募りましたが、残念ながら自主立候補者は1名だけでした。 このため、他の生徒から推薦されて立候補する「推薦立候補者」を募ることにしました。 しかし、この方法にはいくつかの問題があります。 他の人から推薦されて生徒会のメンバーになると、押し付けられた仕事のように感じることがあります。 自発的に生徒会を運営しようという意欲がない生徒や、実はあまりやりたくないけれど先生に言われて仕方なく活動する生徒が集まることが多いのです。 こうした状況では、生徒会活動が
AIが普及し、情報化社会が進む現代において、従来の教科書暗記型授業が果たして意味を持つのか? 多くの教師が抱えるこの疑問は、まさに時代の転換期における教育の本質を問うものです。 私も一人の教師として、日々葛藤しています。目の前の生徒たちは、教科書の内容に興味を示さず、むしろ勉強への嫌悪感を露わにすることも少なくありません。それでも、テストで良い点を取らせるために、アメとムチを使い分け、なんとか教科書の内容を覚えさせようと努力します。 しかし、**「本当にこれでいいのか?」
私は現在、30人の生徒を抱える学級の教科指導をしています。しかし、このクラスは学力差が非常に大きく、上位層は難関私立や国公立大学を目指すレベル、一方、下位層は小学校レベルの四則演算すらままならない状態です。 従来の画一的な授業では、上位層は退屈し、下位層は置いてけぼりにされるばかり。どうすれば全員が学習に取り組めるのか、悩み続けていました。 そこで、今回挑戦したのがグループ学習です。まず、席替えを行い、練習問題をシェア。互いに教え合いながら、制限時間内に解き切るように指示
近年、AI技術の発展は目覚ましく、教育分野にも大きな影響を与え始めています。特に、対話型AIであるチャットGPTの登場は、教育のあり方そのものを大きく変革する可能性を秘めています。 先日、私も実際に新しいチャットGPTを試してみました。ある試験問題のPDFを読み込ませ、解説を求めてみたところ、驚くべきことに私が授業で行うような丁寧かつ詳細な解説が返ってきたのです。さらに、問3について特に詳しく知りたいと伝えると、その問題だけに絞った詳細な解説を提供してくれたのです。 こ
近年、教育現場ではICT化が進み、授業での情報共有方法も大きく変化しています。従来の紙のプリント配布から、タブレットやスマートフォンなどの端末を使ってノートアプリ(ロイロノートなど)で共有するケースも増えています。 私もその一人。以前は授業で説明した内容や課題を紙のプリントで配っていましたが、最近ではノートアプリを活用するようにしています。そのメリットを実感したので、今回はその理由についてお話したいと思います。 生徒一人ひとりに確実に届けられる 紙のプリント配布の場合