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【雑感メモ】すべては、"人のために"

環境問題に関心がある人と話す中で、よく議論の軸になるのが、「何のために環境問題を解決しようとするのか?」ということです。

環境問題と一口に言っても、ゴミ問題、地球温暖化、森林破壊、砂漠化、野生動植物の保護、化石エネルギーの使用過多など、いろいろありますが、どの問題についてでも良いのですが、私たちはなぜ、環境問題に取り組まなければならないのでしょうか?

環境問題に取り組むのは何のため?

「環境問題や自然保護に関心があります」という人と話をすると、「地球に優しい生活をしたい」とか、「自然を保護したい」とか、そういう熱い思いを聞きます。環境問題に関心があまりない人でも、ニュース等による情報で、「地球温暖化を防ぐため」とか「貴重な動植物のいのちを守るため」とか「気候変動による災害を防ぐため」とか、仰る人はたくさんいるなと感じます。

環境問題について、学校の授業で学んだり、企業や官公庁の広報活動、国際的な会議の場でも取り上げられたりと、ここ十数年で本当によく、「環境問題に取り組もう」という風潮になりましたよね。当たり前のように、地球環境をよくするためにひとりひとりが、一企業が、一国家が、できることをやらなければならないという風潮、とっても良いことだと思います。

「地球を守ろう」など美しい響きで壮大なキャッチフレーズ。地球が泣いているようなポスター。人間の出したゴミにより体の自由や命を失ったり、すみかを失ったりした動物たちなどのセンセーショナルな写真。そういったものたちが、たくさんの人の意識を環境問題に向けてきたのだと思います。私も、悲しげな目のホッキョクグマや痛々しいウミガメを見ると心が痛みます。かわいそうだと思います。自分がもし、理由がよく分からない中で怪我をして、家を失ったら、多分悲しくなるから。

地球のため、自然のため?

環境問題への関心が広まっていることは良いことだと思います。でも、根本的なところに一度立ち止まらせてください。なぜ人は環境問題にとり組まなければならないのでしょうか?

たしかに、自然の中に生きるいのちは平等な中で、人知れず絶滅していく動植物の命を奪う権利は人間にはないと思います。

でも、一企業がビジネスの至上命題にしてまで、国が国民から集めた税金から得た巨額を投じてまで、選挙により選ばれた政治家が膨大な時間を費やしてまで、取り組まなければならないものなのでしょうか?地球温暖化により気温が上がっていくことで、地球は本当に困るのでしょうか?これまでも、地球は環境が何度も大きく変わってきて、そのたびに適応できない生き物は絶滅していきました。それで良いのではないでしょうか?

もともと地球が泣いている、というのはもちろん比喩表現ですから、本当に地球が泣くわけはありませんよね。上記のような貴重なリソースを割いて、地球を守らなければならない理由は何でしょうか?

最終的には人のため

私は、環境問題にとり組む理由は、「人のため」これにつきると思っています。

言い方は悪いかもしれませんが、人にとって都合の良い地球の環境を守らなければならないのだと思います。このままでは、人が環境の変化に適応できなくなってしまうから、人が生きるのに都合が悪くならないようにしなければならない。

地球のためとか自然のためとか、聞こえは良いかもしれないけど、きれい事に過ぎないというか、人がそのためにリソースを割いて頑張らなきゃいけないという理由としては弱い。

気候変動による大雨などの自然災害で困るのは人。人がいなければ、ただの大雨や自然災害に過ぎない訳で、そのせいで地球は困らないです。野生動植物が絶滅して困るのも人。医薬品や貴重な資源になるかもしれなかった可能性がなくなって困るのも人。だから、国を挙げて膨大なリソースをかけて、人類を挙げて取り組まなければならない。逆に言えば、そこまでやる価値がある、ということなのだと思います。

まとめ 複雑な問題だからこそ、シンプルで明快な動機と目的意識を

人のために、全ての人の暮らしを守るために、環境問題をはじめとしたあらゆる問題に取り組まなければならない。

環境問題のような、問題の規模が大きくて、たくさんの要素が複雑に絡み合うものに取り組むに当たっては、つい目的を見失いがちですけど、最終目的への道筋は、道理が通っているものでなくてはならない。

私は”持続可能な社会”を実現しなければならないと思っている人ですが、それは、「人にとって暮らしやすい社会こそが持続可能な社会なんだ、人のために持続可能な社会は必要なんだ」ということを強く思っているからです。人がどこかに無理して環境に優しいような生活を送ることは、それは決して”持続可能”とは言えないと思うのです。

あらゆる問題は、人が問題だと思っているからには、人のために解決しなきゃならない。解決するために使えるリソースを、人のために使うということを忘れてはならない。

人以外の何かが可哀想だと思う気持ちとか、感情的なもの、センセーショナルなものに、人は流されやすいと思うのですが。それでも、地に足をつけて、人は所詮自己(=人)のためになることをやりたいのだという、一種ひねくれたような考え方を持って、動機と目的意識をシンプルにとらえて正面から取り組むことが大切だと思っています。










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