④所持金が危ない。
まだワイファイも無かった時代。インターネットを繋ぐためには、電話回線にモデムを繋いでダイヤルアップと言う方法でネットをしていた。初期の頃はそのためにネット使用時には電話が使えず、しばらく問題視されていた。
当時面白いテレビ・コマーシャルがあったので、その状態を分かりやすく説明してみたい。
『父の車を借りて週末に友達と映画を見に行った女の子二人。携帯が出始めた頃で、ボンネットを開けた車の上に座った二人は、携帯で父に電話をかけ助けを求め続けていた。すなわちエンジンの故障で家に帰れないのだ。一方父親のほうは電話回線を使ったネットゲームに夢中で一人興奮していた。二人の女の子は夜更けの駐車場に取り残され、呆然としていた!』
某電話会社の新しいサービスにすれば、電話回線を生かしながらインターネットにもつなげられますよ。と言う宣伝でした。女の子が遠方の駐車場でしかも夜間にと、危険なのですよ!たくさんの人が申し込みをしたでしょう。
話が逸れた。私が使っていたのはマッキントッシュのパワーブックと言う非常に古いパソコンでした。今風に言えばラップトップです。これにはモデムが内蔵されていてそのまま電話回線に繋げばよかった。今日ではもう骨董品扱いですが、当時はそれはそれは凄い名器だったのです。
こいつのお陰でメールが出来てホームシックにもかからず、履歴書を作成して安売りで買ったキャノンのプリンターで印字できた。そう、履歴書を文房具屋で買ってきて、それに書き込みをすれば終わりと言うわけにはいかないのです。もちろんレイアウトやら段落やらと、履歴書の専門家がいるくらいなのだ。
前の仕事は最終的に時給1000円まで行ったので、900円ぐらいからの仕事を当たって見た。話し相手が少なかったせいもあり、前の仕事の時に仲のよかったインド人技術者と、いろいろと相談に乗ってもらった。
何箇所回っただろうか?当時利用できる就職情報は州政府が運営するいわゆる国の職安と、毎週末に掲載される新聞の求職欄が主だった方法だったと思う。バスから開放されたので遠方でもバイクがあるから問題なかったが、カナダは場所によっては半年間雪で閉ざされるため、どうしても通勤距離が問題になってくる。
最後にはインド人に教えてもらった前の職場から近い、機材のレンタルショップを当たって見た。丁度向こうも人を探しているところだったし、仕事の内容も前よりも比較的能動的だったが、初時給は700円からと言うことで悩んでしまったのだ。
そろそろ所持金が3万円に近づきつつあった、、、