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国旗掲揚に思うこと③
憲法記念の日をはじめとする祝日における国旗掲揚について前回と前々回書かせていただきました。
祝日にもかかわらず、国旗掲揚されている場所が少なく、寂しい思いがすると書かせていただきました。
わたしが子供のころ(昭和40年代~50年代)には、もっと国旗掲揚がおこなわれていたように思います。
すべてとはいいませんが、多くの商店街で国旗を掲揚し、玄関先に掲揚する家庭もありました。
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この国旗掲揚に関しては、メディアでも何度か語られているようで、そのなかのひとつがAMEBA TVで、タレントの田村淳さんやジャーナリストの堀潤さんらが語った内容です。
残念ながら、映像の方はすでに配信期限を過ぎているようで視聴できませんでしたが、この記事から概要はわかります。
このなかで、やはり昔、1964年(かなり古い)当時では、80%近くの家庭が国旗が家にあり、祝日での掲揚も「ときどき」を含めると、75%の家庭が掲揚していました。
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しかし現在では国旗を掲揚している家庭はほぼ皆無ではないでしょうか。
大げさな言い方になってしまいますが、国旗掲揚ひとつとっても、わたしたち日本人が「国」と自分たちひとりひとりとの関係性が希薄になっている
「兆し」ではないでしょうか。
あるひは、「兆し」を通り越して、すでに「現れ」として顕在化してきているのかもしれません。
以前、noteに『「どんど焼き」み見る、日本の危機?』という記事をアップさせていただきました。
正月にもかかわらず、松飾りを飾る家庭が目に見えて現象しており、それは
どんど焼きの規模からも一目瞭然でした。
これは、日本人が古来からの日本的なものに興味をしめさなくなり、さらには示さなくても良いという人が多くなってきていることを表していると思います。
話を国旗掲揚にもどすと、さきほどのAMEBA TVの記事の中で、「世界から見た時に日の丸の語られ方を俯瞰して、日本にどういう役割が期待されているのかを考えてみてもいいと思う」といった発言がありますが、国旗と国際社会における日本の役割とは基本関係ありません。
日本の国際社会での立ち位置や貢献度と、国民が国旗を大切にして敬意を示すこととは、別次元の話です。
国際社会に貢献していようが、なかろうが、日本国民として自分の国を愛し、大切にするのは当たり前のことで、その日本を象徴する「日の丸」に敬意を示し、大切にすることも当たり前のことだと思います。
国を愛し、国旗を大切にするのは、理屈ではなく自然な感情の発露だと思うのですが、なぜか日本はそれが自然に発露できない何かがあるのかもしれません。
続きます。ここまで読んでいただきありがとうございます。✋