苦しみぬいて得たものだけが身に付く
全ての人には赤子であった時があります。
赤子は純粋無垢で穢れがない故に限りなく悟りに近いと言われます。
ですが世俗世間での体験によって穢れ(めぐり)ていき、エゴが発達し『普通の人間』となっていきます。
一切の体験は神が与えます。
なぜ神は純粋無垢な人間に対して、わざわざ苦しみに向かう体験を与えるのだろうと私は不思議に思ったことがあります。
人の歓喜、弥栄を望む神が苦しみを与えるのは矛盾しているように見えますが、それにも理由があります。
悟りとは人の本性だと言われます。
ですが最初から悟りであるから、自身がそうであると知ることが出来ません。
また悟りとは何かもわからず、悟りに至る方法もわかりません。
だから知るために一度、そこから分離しなければならず、故に穢れの体験を与える必要があったという話を聞いたことがあります。
この話は自身で学びを深めていくにつれて、確かに必要だったと実感するようになりました。
穢れがあったから学びの道を歩み、仕組みや意味を理解していくことが出来ました。
そして理解があるから間違って後戻りすることもなく、穢れによる人の苦しみを知り、人に教えることも出来るようになりました。
真剣に学んで基礎の基礎が出来るのに3年、だいたいの全体像が見えてくるのに5年、完成するのに7年かかると師匠から言われました。
ちなみに私は現在の状態に至るのに11年かかっています。
師匠の教えはわけのわからないことだらけだったので付いていくだけでも、本当に苦労の連続でした。
「ものわかりが悪い」「考えが浅い」などと説教され嫌になったことは数知れません。
師匠の元を飛び出した後は独力で何とかしなくてはならなかったので、それはもう大変でした。
苦労、苦労の連続でしたが、それでもしぶとく続けてきたからこそ今があると身をもって学びました。
苦労して得たものだけが身に付くんです。
かつて師匠は悟りへの学びについてこう言っていました。
『どこまでも押し通せる強欲な諦めることを知らないバカだけが天文学的確率を手にするのです。頑張りなさい。どこまでも強欲であれ』
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【黄金の巻 13帖】
神示はちっとも違わん。
違うと思うことあったら己の心顧みよ。
その心曇っているのであるぞ。
めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。
めぐり無くなれば神が有り難いのぢゃ。
人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。
神が人間になって働くのぞ。
わかりたか。
新しき神国が生まれるまでめぐりばかりがウヨウヨと、昔のしたことばかり恋しがっているが、そんなこと何時までも続かんぞ。
三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。
皆仲よう相談し合って力合わせて進め進め。
弥栄えるぞ。
二つに分かれるぞ。
三つに分かれるぞ。
分かれて元の鞘に納まる仕組。
結構結構。
理解大切。
理解結構。
思考しなければこれからは何も出来んぞ。
拝み合うことは理解し合うことぞ。
手合わせて拝むばかりでは何もわかりはせんぞ。
何故に心の手合わせんのぢゃ。
心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。
サトルことぢゃ。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。
その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。
血ぢゃ。
肉ぢゃ。
【月光の巻 35帖】
化物に化かされんよう。
おかげ落とさんようにして下されよ。
よいことを申し、よい行いをしていても、よくない人があるのぢゃ。
よくないことも御用の一つではあるが、そなたは未(いま)だそれを消化するほどのところまで行ってないぞ。
小学生が大学生の真似してはならん。
そなたはまだ欲があるぞ。
欲を、小さい自分ばかりの欲を捨てなされ。
そしてまことの大深欲になりなされよ。
その気持ちさえ動いてくれば、何事も見事成就するぞ。