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決まり事を当たり前に守れないとより良い行為は出来ない
法律や規則などの決まり事は必要だから存在します。
何のために必要かというと皆の安心、安全のためです。
故にこれらは守って当然のもの、と皆さん認識しているはずです。
法律や規則などの決まり事はあって然るべきです。
ですが罰則などを用いて強要するものであってはいけません。
最初は多少強制的に行うのも良いと思いますが、その状態がそのまま継続するのは人として進歩していないことにならないでしょうか?
例えば子供の頃は物事の分別がつかないことが多い故にいろんな決まり事が必要です。
では大人になってもそれが必要だと言われたら、皆さんどう思うでしょうか?
物事の分別がついてこそ大人であり、一人前と言えるのではないでしょうか?
怒られるから、罰を受けるから等を理由に行われる行為は段階の低いものに過ぎません。
人が見ていなくても当たり前に決め事を守れるのが一人前です。
人が見ていないからとか、バレなければいいと思っている人間は平気決め事を破り、平気で嘘をつきます。
もちろん人に対して嘘をつきますが、更に恐ろしいのは自分に対しても嘘をつき続けているということです。
そんな人間が自身をより良くすることなど出来るでしょうか?
世のため人のために行動できるでしょうか?
残念ながら害にしかならないというのが現実です。
最初にも言いましたが決まり事は必要だからあります。
決まり事を当たり前に守ってこそ、より良くの行為が可能なんです。
決まり事を守るのは皆の安心、安全にためというのがそれを物語ってないでしょうか?
強要、強制されないと実現できない安心、安全など無いのと同じで何の価値もありません。
当たり前に、永遠に実現してこそ安心、安全と言えるのではないでしょうか?
以下は日月神示の一文です
日月神示
【地震の巻 13帖】
地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものを含む。
奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。
かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。
浄化し、改心し得ないものである。
また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。
脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。
すべて戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。
半面、向上のごとくに見ゆる面があるとも、反面において同様の退歩が必然的に起こってくる。
それは強(し)いるが為である。
神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。
戒律あるところ必ず影生じ、暗を生み出し、カスが残るものである。
【地震の巻 19帖】
天国の政治は、歓喜の政治である。
故に、戒律はない。
戒律の存在するところは、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。
天国の政治は、愛の政治である。
政治する政治ではない。
より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。
故に、与える政治として現われる。
(中略)
奉仕するとは、いかにしてよりよく融和し、善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、これらのすべてを神の力として生かし、さらに高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。