行き詰りは好機
何か事を成そうとしている最中に『もう無理だ』『万策尽きた』『これ以上どうしていいのかわからない』などと感じたことがあると思います。
いわゆる行き詰まりと呼ばれるものですが、その時に感じる絶望感、無気力感は尋常なものではありません。
出来ればそんなものとは無縁でいたいのが人の本音です。
しかし、この行き詰まりは決まった人しか体験できないという特徴があります。
どんな人が体験出来るかと言うと一生懸命、努力をしている人です。
前に進もう、何かを達成しようとするから行き詰まることが出来るんです。
何もしない者は行き詰まることなど出来ません。
行き詰まりとは神の恩寵です。
神は世界の歓喜、弥栄のために人に様々なものを与え、動かそうとします。
例えば困難を与えたら、人は困難を克服しようと改善に向けて行動するでしょう。
例えば喜びを与えたら、人は喜びを維持、発展させようとするでしょう。
神が与えるから、起こること一切には意味があります。
意味がある故にどんな些細な事も歓喜、弥栄に繋がっているんです。
行き詰まりとは、より大きな歓喜、弥栄に向かう準備が出来ている合図であると言えます。
私が師匠に出会った頃も学びに行き詰まりを感じ、絶望していた時でした。
仮にもっと前に出会っていたなら師匠の教えなど理解できず、興味も示さなかったでしょう。
だから、ちょうど良いタイミングで与えられるんです。
日月神示では行き詰まりは有難いと言われています。
師匠が言う『一切に感謝しなさい』も同じ意味です。
もし、行き詰まりを感じたならチャンスだということを忘れないで下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【月光の巻 47帖】
そなたは行き詰まって苦しんで御座るなれど、それは間違った道を歩んで来たからぞ。
行き詰まりは有り難いぞ。
省みる時与えられたのぢゃ。
身魂磨きさえすれば何ごともハッキリとうつりて、楽に行ける道がちゃんとつくってあるのぢゃ。
その人その人に応じて如何ようにでも展(ひら)け行くぞ。
犬猫でさえ楽々と栄えているでないか。
洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ。
【黄金の巻 68帖】
神と人の和は神よりなさるものであるぞ。
本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。
働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。
信じ合う一人が出来たら一つの世界を得たこと。
一つ得たら二つになったことぞ。
祈りを忘れることは、神を忘れること、神から遠ざかること、それではならんのう。
安全な道通れ。
安全な教(おしえ)の所へ集まれよ。