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あるもの一切は与えられたもの

あるもの一切は神より与えられたものだと言われます。
故に全てのものは必要だから与えられているのであり、意味のないものなどありません。

今、あなたに与えられているものも必要なもので、今がどんな環境、状況であろうと不満を抱くことは神を否定することになります。

神は弥栄であるから、神を否定することは喜びを否定するのと同じです。
与えられたもの一切を受け入れ、今を足場にひたすらより良くに向かって行為することが神を信じることであり、喜びへの道なのではと私は思っています。

人が外面的にも内面的にも違っているのは、それぞれ違った役割を与えられているからです。

身体を見て下さい。
それぞれの器官が違った役割を果たすから生命を維持し、成長することが出来ます。

人も同じで、いろんな人達が違った役割を果たすから、より良い世界をつくり上げていくことが出来ます。

同じ部品ばかりでは車が作れないのと同様に、皆が同じ役割をしていては世界は弥栄しません。
与えられる役割が違うのはこのためです。

故に人と比べても意味はなく、違いがあることに意味があるんです。
今、与えられているものはあなたのためにも、世界のためにも必要なものです。

ならば与えられたもの一切に感謝し、喜びを生むために使って下さい。
日月神示にはこう書かれています。

【梅の巻 4帖】
⦿(かみ)が預けてあるものは、預かった人民よきに取りはからえよ、大き小さいの区別ないぞ、塵(ちり)一本でも⦿のものざと申してあろが、塵一本動かすに、いちいち⦿の心聞いてやっているとは言わさんぞ、預けるには預けるだけの因縁あるのざぞ、預かった人民よきにせよ、奥山何処に移ってもよいと申してあろがな、⦿の道弥栄。

【梅の巻 8帖】
目覚めたらその日の生命頂いたのぢゃと申してあろう、新しき生命弥栄に生(あ)れるのぢゃ。
今日一日⦿に仕えまつれよ、与えられた仕事御用ざぞ、生命ざぞ、取り違い致すでないぞ。