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今、与えられているものに答えがある

人間は罪の子だと言われることがあります。

確かに人間は皆がグルや聖者のように生きていません。

そして大なり小なり過ちを犯すものです。

「だから人間の本質は悪だ」「世界は絶対に平和にならない」と結論を急ぐ必要はありません。

グルや聖者も最初からそうだったあったわけではありません。

皆と同じように様々な過ちを犯していました。

唯一、違うところは無常や苦しみに気づき、改心しただけです。

無常や苦しみは一見、必要ないもの、意味のないもののように見えます。

ですが物事一切には意味があると言われます。

神が人間に無常や苦しみを与えるのも気づきを促すためです。

神にとって無常や苦しみは手段の一つに過ぎません。

無常や苦しみが気づきにとって最も効果的だから使用しているだけです。

気づきがあって初めて改心があるので本来、無常も苦しみも必要ありません。

必要なのは気づきなんです。

ですが人は自力で気づけるほど賢くはありません。

故に神は気づきの機会を与えるんです。

この事実からも人間は罪の子でないのがわかると思います。

常に神に見守られている神の子です。

だから自身に降りかかること一切に喜び、感謝して下さい。

あと気づきについてですが、過去に不満を抱き、未来に思い煩うものに気づきは永遠に訪れません。
 
なぜなら気づきは常に今にあるからです。
 
よく考えてみて下さい。
 
今を失っているものが何に気づけるというのでしょうか?
 
必要なものは過去にも未来にもありません。
 
必要なものは今、与えられているものにあります。
 
だから今に留まり、今に安住して下さい。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【黄金の巻 68帖】
神と人の和は神よりなさるものであるぞ。
本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。
働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。
信じ合う一人が出来たら一つの世界を得たこと。
一つ得たら二つになったことぞ。
祈りを忘れることは、神を忘れること、神から遠ざかること、それではならんのう。
安全な道通れ。
安全な教(おしえ)の所へ集まれよ。
 
 
【春の巻 13帖】
自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。
自分が神の道にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。
輝いているぞ。
自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思え。
如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。
この道理よくわきまえて下されよ。
真の神理解すれば、一切の幸福得られるのぢゃ。
世を呪うことは自分を呪うこと、世間や他人を恨むことは自分恨むこと。
このこと悟れば一切はそこから開けてくるぞ。
十のもの受けるには十の努力。
 
 
【夏の巻 24帖】
すべての世の中の出来事はそれ相当に意義あるのであるぞ。
意義ないものは存在ゆるされん。
それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でいるから、いつまでたってもドウドウめぐり。
それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考え方や、処理方法や、いろいろの運び方によって知るのであるから、心せねばならんぞ。
「今」に一生懸命になりて下されよ。
 
 
【秋の巻 12帖】
神について御座れよ。
理窟申さず、ついて御座れよ。
地獄ないと申してあろう。
人は神の喜びの子と申してあろう。
人の本性は神であるぞ。
神なればこそ天国へ自ずから行くのぢゃ
住むのぢゃ。