人は機根に従って行為する
私が師匠から教えを請うようになったのは師匠のブログ記事を読んだのがきっかけでした。
師匠のブログは宗教的な話、過去のグルの話、科学的な話、スピリチュアルな話など幅広い視点から語られていました。
話の内容は半分くらいしか理解できませんでしたが、私が知りたかったのはこれかもしれないという直感のもと、ひたすらブログ記事を読み込む日々が続きました。
何かが変わってきた感触があったので感謝のメールを送ると師匠から「掲示板でお話しませんか」との誘いを受け、そこから掲示板での対機説法が始まりました。
私は師匠のブログに魅力を感じ、教えを請うことになりました。
これは機根です。
また師匠の教えがどんなに素晴らしいものでも、私が求めていなければ何の魅力も感じず、師匠と会うこともなかったでしょう。
これも機根です。
私の記事を継続して読んでくれている方々も、何か感じるものがあるから読んでいるはずです。
これも機根です。
人は機根にそってしか行為できません。
どんなに良いものでも受け取れる準備の出来ていない人にとっては無用の長物となります。
機根が整って初めて受け取ることが出来るんです。
神は人が本気で求めるものを与えます。
引き寄せの法則というのも意味は同じです。
機根にそって引き寄せられるんです。
故により多くの人が本気で世界一家、八紘一宇を求めれば実現へと近づいていくんです。
以下は師匠の機根について教えてくれた時のお話です。
【師匠の教え】
良い機会ですから機根のお話を少しいたしましょう。
例えばラマナの本で『沈黙の教え』と言う題名をもっと誰でも興味を持つタイトルに変更し、表紙を花柄で飾り雰囲気を明るくして沢山の人に読んで頂こうとしました。
さて皆さんこの結果はどうなるでしょう?
もしかしたらこの企みは成功し、沢山の人が手に取るかもしれません。
ですがこのタイトルの変更と表紙の飾りに惹かれた人が内容を理解出来ますか?
これが機根です。
また真面目に真理の探究を求めている人は真面目なタイトルを探します。
本当ならラマナの沈黙の教えのタイトルに惹かれる状態の人はきっと、面白く変更されたタイトルと表紙のデザインに惹かれることがなく、その本に出会わないかも知れません。
これが機根です。
自分の機根に従って何かしらに魅力を感じるのです。
もしこの例えの様なことが起きたら、その本を必要でない沢山の人に手にとってもらう為に必要な人にその本は届かなくなります。
どうして過去の覚者達は真面目なタイトルを付けたのでしょう。
どうして経典は堅い名前なのでしょう。
ただ人の目を惹いても意味がないのです。
ふざけた名前をつけたら、ふざけた人が集まるのです。
これが機根です。
類は類を呼ぶのです。
名前と同じ波長の人を呼び寄せるのです。
だから出来るだけ名前は体を現すべきなのです。
本のタイトルも表紙のデザインも本の内容に沿ったほうが機根に沿った人と出会えるのです。
ここで私は反対ばかりしているように見えます。
自我のエゴの眼鏡は逆さまに見えるから逆が良いように常に見えるのです。
そのような間違いを防ぐために機根などの道理が説かれるのです。
この世界がどうして人を幸せにしないのでしょう。
エゴの眼鏡が競争して幸せを奪えと言い、それに従うからでしょう。
それで苦しくなり何らかの教えを求めるわけです。
この何らかの教えを必要としている人とまず、出会わなければならないのです。
表面を装って、まだ必要としていない人を集めても主張だらけで混乱するだけです。
本気で求め出して、初めて受け入れる機根が整うのです。
小手先でこの世界を変えようとしても無駄です。
人の心の根源を変えねば本質的には何も変わりません。
また異なるエゴの世界が生まれるだけです。
表面を装おおうとする者は機根を知りません。
数を取って大事なものを失います。
皆さんがどうして大事な今を失っていると思いますか?
本来大事でない未来を歩いて今を歩いていないからです。
それは全てエゴの眼鏡に従っているからなのです。
自分が考えた事を常に道理に照らし考え、エゴの眼鏡に騙されないことです。
今回の御用とは内側と外側の大和合です。
外側の和合とは調和の世界であり、神に平伏することです。
内側の和合とは内側深く入って行き喜びの沸き出ずるところの神聖な領域深く入っていくことです。
この内側の神聖な領域を表現したのが宗教の雰囲気です。
雅楽の演奏やパイプオルガンの演奏がこの領域ではよく似合う。
この領域は光のない神聖な光に溢れ、音のない神聖な音に包まれ、香りのない神聖な香りで満たされている。
だからここに至る道は神聖な言葉で表現されるのです。
ふざけ心はここには似合わないのです。
この神聖な雰囲気を漂わせれば、神聖な人たちが集まります。
これが機根です。
人は機根に従ったものに引き寄せられるのです。
どんなに人を集めても機根に従わなければその人たちは理解出来ません。