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内側が外側に現れる

皆さんも知っての通り、世界の様々な出来事は人間が影響を与えています。
それ故に人間の行動の元である内側が重要になってきます。

内側とは本心、本音のことですが人間の本心、本音とは我善しです。
我善しは思い通りにならないことが許せません。
我善しに調和はありません。

だから我善しは必ず衝突を生みます。
あるのは目に見える衝突か、目に見えない衝突かの違いに過ぎません。

世界を見渡して下さい。
国、企業、民族、団体、個人など様々な衝突が起こっています。

このように世界の様々な出来事は全て内側が原因で起こっています。
我々の内側が世界をつくっているんです。

こう書くと人間そのものを否定しているように感じますが、人間とはそういうものだと理解して欲しいのです。

人間はそのままにしておけば滅びるようになっていると過去のマスター達は言います。
私の師匠もそう言っていましたし、私自身もそう思います。

なぜなら私が強烈な我善し人間だったからです。
そして我善しをやめるほど人生が逆転してきたからです。

必要なのは我善しに気づき続けて内側に目を向け続けることです。
『内側が外側に現れる』
師匠から事あるごとに説かれた教えです。

外側に目を向けても原因から目をそらすだけだから、不満しか生まれません。
内側に目を向け続けることで不満は自然と消え去ります。
幻想は幻想と気付けば消え去るしかないからです。

人間は我善しですが、改心することが出来るのも人間です。
改心すればするほどあらゆることに喜びを感じることが出来るようになります。
喜び多き世界に生きて下さい。
以下は日月神示の一文です。

【月光の巻 30帖】
心の入れ替えせよとは、新しき神界との霊線をつなぐことぞ。
そなたは我が強いから、我の強い霊線との交流がだんだんと強くなり、我の虫が生まれてくるぞ。
我の病になって来るぞ。
その病は自分ではわからんぞ。
訳のわからん虫わくぞ。
訳のわからん病流行るぞと申してあるがそのことぞ。
肉体の病ばかりでないぞ。
心の病はげしくなっているから気つけてくれよ。
人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。
この病治すのは、今日までの教えでは治らん。
病を殺してしもうて、病を無くしようとて病は無くならんぞ。
病を浄化しなければならん。
悪を殺すという教えや、やり方ではならんぞ。
悪を抱き参らせて下されよ。

【月光の巻 50帖】
何も難しいこと申すのではない。
自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。
内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わって来る道理。
内の自分を洗濯せずにいて、汚いものが近づくとか、世の中が暗いとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。
三千年に一度の時がめぐり来ているのであるぞ。為せば成る時が来ているのぢゃ。
為さねば後悔ぞ。
時過ぎて種まいても、くたびれもうけ。
そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申しているが、すべては大神の肚の中にいて、一応大神が許しなされて居ればこそ存在し、生命しているのであるぞ。
悪く映るのは心の鏡が曇っているからぞ。
悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。

【五葉之巻 3帖】
友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。
一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、何もかも皆友ぢゃ、友は己ぢゃ、皆己となれば己なくなるぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。
御神前で拝むもよいなれど、空を拝めよ、山も川も拝めよ、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、また己となるのぢゃ。
足らぬことない細矛千足(くわしほこちたる)の浦安の自分となるのであるぞ。

【黒鉄の巻 31帖】
中の自分と外の自分と和せよ。
それが改心の第一歩。
聞かせてきくならば、実地はカタのカタくらいで済むなれど。
欲入ると邪気湧く、邪気湧くと邪霊集まるぞ。
肉体人に神は直接わからんものぞ。
神は能(はたら)き、神の働きの影しかわからんものぞ。
神の姿、見たと申すのは、神の姿の影を自分の心に描き出したまでであるぞ。
心にわかっても肉体にわかるものでないぞ。
肉を魂とせよ。
魂を魂の魂と向上させよ。
ひらけ来るぞ。
何事も咎(とが)むでないぞ。
咎む心、天狗ぞ。
神の前にへり下り、へり下ってもなお過ぎるということないのぢゃ。
人間は、色とりどりそれぞれの考え方を自由に与えてあるのざから、無理に引っ張ったり、教えたりするでないぞ。
今あるもの、今生きているものは、たとえ極悪ざと見えても、それは許されているのであるから、あるのであるぞ。
他を排すでないぞ。

【扶桑之巻 10帖】
何事が起こって来てもまず喜こんで迎えねばならんぞ、近づいてくるのは呼び寄せたからぢゃ、こんな嫌な、汚いものはごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しでないか。
内に無いものが外から近寄る道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。
何事も一段ずつ、一歩ずつぢゃ、一足飛びは大怪我のもと。