みんな仲良く
【 みんな仲良く 】
はい … 小学校の教室に入ると必ず教壇の上に
必ずと言っていいほど掲げてありますねぇ「( ̄▽ ̄;)
あれに対して、僕は批判的です … ってか反対!
学校の教室には不必要な言葉 … だと思っている。
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中学三年生の時、たぶん高校受験のための内申書を作成する理由かなんかで、当時の担任から、「 座右の銘 」程ではないけれど … 💦
「 好きな言葉 」的なモノを求められ、僕が提出した言葉は …
『 独立独歩 』… だった。
そしたら、その担任が、その後の三者面談に於いて …
「 利己主義的すぎる! 」… !!
「 もっと みんなと仲良くできるような言葉、協調できるような言葉を選ぶべきです! 」…!!
… と、個人の思いよりも、いかに、周りと協調しようと努力することに
重要さがあり、そうするコトが大事だと、延々と説かれてしまった…。
もう、あの人(中3の担任)とは絶対に永遠に気持ちや心が通い合うことないと思った。
僕的に思うのは、『 みんな仲良く 』というのは目的ではなくて …
一種の結果であるべきだと思う。
みんなと仲良く出来るのが一つの脳力で、そのコトがどれ程、他者より優れているか?
… という評価に繋がるのであれば、最早それは、単なる評価の基準でしかない。
しかも評価するのは … 誰ぇ? …
評価される側を何かしらの立場で、みんなを支配している人です。
わかりやすく言うと、アナタに『 イイね! 』してくれる人です。
もしかしたら、社会に於いて、会社に於いて、お互いに監視・評価し合ってるのかもしれません。
そして、無意識に、【 高評価 】をもらうコトに命がけになっている、マジョリティー💦
でも、本当は誰からも監視されることなく支配されることなく、
自分を信じ思考し行動してさえいればいいと思うんです。
一時「 空気読めよぉ! 」という言葉が流行しました。
わかりやすく言うと「 同調圧力に屈しなさいよ。 」というコトですよね ⁉
その為には「 自分を自身の中に持ってはいけない。 」
「 みんなの言っていることをよく聞いて、みんなと同じ様にしていましょう。 」
… っていうコトですね、それが『 みんな仲良く 』というコトのように思えてならない。
みんなと仲良くする手間には、サイレントなマジョリティーであることが必須。
………………。
ところで、『 みんな仲良く 』の『 みんな 』って、誰ですかぁ ❓
きっと、マスコミの声とか、ネットの声とか …
その殆どが、実は【 知らない人 】ではないのでしょうか ❓
多くの人が、その【 知らない人 】を『 みんな 』と見做し …
『 仲良く 』という大義の下に【 同調 】しているだけ … なのかもしれませんね。
そういう、マジョリティーと同化するコトが目的となっているような気がしてならない。
各々が自分でよく考え、『 あり方 』を持ち自らの足で立ち = 独立
自分を信じて、その『 あり方 』を追求する生き方を続ける = 独歩
そういう、生き方をしている人同士が、或るタイミングや場所で出会ったときに
お互いを尊敬し合い、その存在を大切にしあうコトこそが …
本当の意味での『 仲良く 』するコトではないかと思うのです。
ピラミッドの様に縦に組織される繋がりではなく …
上も下もない、大きく平らかに広がる繋がりであればいいのになぁ~
… と願っています。