生きるのが苦しい人へ 2
生の苦しみを解決したいと思ってた私は浄土真宗に辿り着きました。
そもそも仏教は生病老死の苦しみにお釈迦様が悩んだ所から始まり、仏の悟りを開いた事で解決されました。仏になると煩悩(執着する心)が無くなり真理全てを悟ります。*例えば苦しむのは根本的無知な事であり様々な事に執着を起こすからなどです。
仏教はお釈迦様の教えに従って苦しみを抜き楽を得ます。これを抜苦与楽と言います。最終的に苦しみの無い理想の境地である仏を目指す訳ですが道のりに2通りあります。
自力で厳しい修行をしこの世で仏を目指す聖道門
他力によって極楽浄土で仏にさせてもらう浄土門
浄土真宗は後者の浄土門に当たります。他力というのは阿弥陀仏と言う仏様が私達を助ける力の事です。*お釈迦様とは別の仏様
そして浄土真宗では生きる今!阿弥陀仏の本願によって救われます。そして以下の内容を基本的に聴聞します。
阿弥陀仏が遥か昔まだ仏に成る前に法蔵菩薩だった時に煩悩によって貪欲、怒り、愚痴の心を起こし自ら苦しみ悩み、自分の力では苦しみから抜け出せない人々(私もその1人)を全て救いたいと思われました。苦しみの無い世界、極楽浄土を作って皆んなをそこに生まれさせて救おうとしました。そして五劫という長い時間考えられて48個の誓願を立て、永遠の様な長い修行をして誓願を成就されました。私達を救う功徳は南無阿弥陀仏に全て詰め込まれました。
阿弥陀仏の17番目の願い、17願と呼ぶのですがこれによってお釈迦様が南無阿弥陀仏を私達の所まで届けてくれました。そして18願これは私達の救いに直接関係するので本願と呼ばれます。
「南無阿弥陀仏と称える者を極楽浄土に生れさせて仏にする」
になります。上記を仏願の生起本末と言いこれを聞く事を聴聞と言います。これだけですと死んでからの救いじゃないか?と感じるかもですが決してそうではないです。生きてる今極楽に生まれる身に救われます。
全て阿弥陀仏のお力によって助かる訳ですが助かったどうかの基準があります。それが仏願の生起本末を聞いて疑いが無い事です。これを信心と言います。信心を獲ることを信心獲得や獲得者と呼びます。
ちなみに疑う心の事を疑情や疑蓋と呼びます。
上記の浄土真宗の要点を一通り学んだ私はサイトの作成者である僧侶の龍雲さんから聴聞させて頂く事になりました。
これで信心獲得できると思っていましたが、私はとても大きな聞き間違いをしていたのです。