[中尊寺+ゴルコンダ要塞+鳥海山 大物忌神社 吹浦口ノ宮] 高次元のエネルギーと胆力
人間は不安や恐怖心がつのると、それに取りつかれたようにモノゴトを考える力や行動力が一瞬にして鈍ります。その一例が煽り運転です。
煽られている人は不安や恐怖心から心が委縮してしまい、どうすればよいのかさえも分からなくなり、ただ不安や恐怖心から逃げだしたくて突発的な行動をとってしまった結果、事故を起こしたりします。このように不安や恐怖心というのは私たち自らからが創出する感情ではなく、他人といった外界から受ける感情です。
こういった外界からやってくる不安や恐怖心から私たちの心を解放するには、困難や課題へ物怖じせずに、立ち向かう胆力が必要です。胆力とは持って生まれた能力ではなく、後天的に鍛えることで会得する力です。そして一番手っ取り早い解放方法は、恐れや不安から心を分離することです。「この恐れや不安は私の感情ではなく、他人が植え付けている感情」と割り切ってしまうことです。
風の時代、課題や問題の解決ができない人々は、あたかも他人の責任のように私たちを煽ってきます。こういったケースでは、高次よりモノゴトを俯瞰して「私の問題ではない」ときっぱりと心を分離してください。そして常に高次のエネルギーへアクセスするためにも神様や精霊の導きを信じて日々、精進してください。
中尊寺(ちゅうそんじ) ー 岩手県西磐井郡平泉町
天台宗 比叡山 延暦寺の高僧慈覚大師 円仁(じかくだいしえんにん)により開山され、その後、藤原清衡公(ふじわらのきよひら)が戦乱で亡くなった御霊を供養するために金色堂をはじめ大伽藍の造営を行う。
極楽浄土を表現された金色堂は堂内外に金箔が張られており、須弥壇(しゅみだん)の中心には阿弥陀如来が配置され、その両脇には観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天が祀られている。奥州藤原 初代 清衡公をはじめ、二代目 基衡公、三代目 秀衡公、そして四代目 泰衡公の亡骸が金色の棺に納められ、須弥壇の中に永眠する。
**
1月中旬に訪れた中尊寺でしたが縄のスベリ止めがなければ月見坂を登ることは出来ませんでした。先人の知恵とお心遣いに感謝しました。
除雪はしてありますが寒さのために参道は凍っており、かなり気を付けて歩いても滑るため、冬に参拝をされる場合はスノーシューズをお勧めします。
帰り道で、「滑りそう」と思った途端、強くしりもちをつきました。その瞬間、「厄落とし」というメッセージが到着しました。先日もプロジェクトの本番リリース判定日に、滅多にないようなコーヒーカップを落とすという出来事が起こった瞬間、「厄落とし」というメッセージが到着しました。その日、無事、プロジェクトを完遂することが出来ました。
コインには表と裏があるようにモノゴトが起こる際には必ず一面だけではなくその他の側面があり、その他の側面を考慮していくことで真実に近づく気がします。また起こったモノゴトに対して正しい・間違っているという2つの判断が出来ますが、その判断は十人十色であり、自分の判断はあくまでも自分が思う正義感にもとづく私見であり、もしかすると真実は別にあると常に、他の側面を考慮しておくことも大切かなと思います。
中尊寺は天台宗 最澄が開祖であり、そしてその信念は「一隅を照らす」です。私たち一人ひとりが自分のいる場所を明るく照らすことで、その明かりが積み重なり、ひいては全世界が明るく照らされるという、この世に存在するもののどれ一つとっても無駄や分け隔てがなく、差別や対立もなく、そしてこの世に存在するものは全てが各々のお役目をもっており、重要な役割を果たしています。一隅を照らそうとした円仁を尊び、戦乱で亡くなった御霊を祀り、そして奥州で栄華した藤原氏の足跡を中尊寺で垣間見ました。
ゴルコンダ要塞(Golconda Fort) ー インド テランガーナ州ハイダラーバード県
羊飼いの丘と言われるゴルコンダはダイヤモンドの産地として栄えたハイダラーバード県の都市であり、ゴルコンダ丘の一体が要塞としてインド三大要塞として知られている。
要塞では人の出入りを柏手で知らせていたため、小さな音でさえ域内全体に響き渡るように設計されており、場所によっては遠くでのヒソヒソ話が壁をつたって反響効果として聞こえる音響も施されていた。
この音響システムも逆手に取られ、軍隊の警備員は敵の侵入を知らせるために拍手で王に合図を送っていたが、賄賂を渡された警備員が音を鳴らさなかったため、砦が陥落した歴史もあり、その後はこの音響を使うことはなかった。
**
難関不落と言わた要塞はとても大きく、町全体を見下ろす丘の上にあり、まるで沖縄のグスクを思い出しました。
場内には寺院や礼拝の場所があり、沖縄のグスクにも御嶽が各所にあったことより、私たちの宗教や文化は確実に西から入ってきているのかなと思いました。
王朝の入れかわりにより一度は塗りつぶされた礼拝場ですが、今でも信仰の場となっており、靴や靴下を脱いでその神の前に行くインドの方々を見て、その信仰の深さに心を打たれました。
こういった人間のエゴや権力により抹殺しようとした神々或いは神々への信仰心ですが、未だにその消された痕跡を崇敬するインドの方々の姿を垣間見ながら、まるで道端に祀られている風化しつつあるお地蔵さんや祠、庚申塔に対して、自然と体が一礼を行い、両手を合わせるように、人間の信仰心の深さまで取り上げることは誰にもできないようです。
鳥海山 大物忌神社 吹浦口ノ宮(ちょうかいざん おおものいみじんじゃ ふくらくちのみや) ー 山形県飽海郡遊佐町
大物忌大神と月山神を主祭神に祀り、大物忌大神は鳥海山に宿る神として火山活動がある度にその鎮火祈祷がされ、また大物忌大神は国家を守る神として、穢れを清める神としても知られている。
**
本殿の後ろ側から呼ばれたため、細い路地のような道を通って裏へまわってみると、本殿背後の笹林に磐座が見えました。磐座までは苔むした階段が続いており、本殿が建てられる以前にこの土地で古代祭祀が行われてきた磐座のようでした。
白山神社の向拝には木に宿る龍がおさめられており、その全体的な容姿を眺めながら、今の私には見えない、或いは感じなくなってしまっている感覚がこの龍を見つけた方にはあることに感動したと同時に、この龍に出会えたことに感謝しました。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。