[石上神社+敢国神社+御上神社] 現世とは異なる次元へつながれる土地と神様
古墳を含め、古代祭祀が行われていた場所へ行くチャンスがあれば、その場所で感じることや、自分自身の感情を、改めて、じっくりと、見つめてください。ワクワクと心が躍るような気持ちであったり、背筋がゾクっとするような恐れの感情がでてきたり、或いは子供の頃を思い出すかのような懐かしい感情が出てくるかもしれません。全く感情がないということはあまりなく、そういった場合はご縁があっても、その訪れている土地とのご縁を思い出せていないようです。
もし神社や神様にご興味をお持ちであれば、その神様の御利益だけではなく、その神様の出自を調べてみてください。「え!」と驚くような、ご自身或いはご家族との接点が見えてくると思います。それが本来のご縁であり、チャンスとして引き寄せられている所以です。
様々な神様の出自を調べたりしていくには時間と根気が必要ですが、そのエネルギー自体を神様が与えてくださっていますので、後は現世にいる私たちの身体と心を一致させて動いてみることです。
私はそういった身体と心の一致をはじめていくことで、面白いほどに様々なメッセージが心に届くようになりました。子供の頃より、変な発想をする子供と周囲の大人たちより言われてきましたが、今になりその発想は私からではなく、高次元のエネルギーからであったことが分かりました。
今ではそんな変な発想が面白くて、私が私の一番のファンです。
石上神社(いそのかみじんじゃ) ー 奈良県天理市滝本町
石上神宮の元社・元宮の謂れもあり、御祭神には石上大神(いそのかみのおおかみ)を祀る。
同社内には天照大神を祀る皇大神社をはじめ、春日神社、住吉神社、水分神社、八幡神社といった太陽や川・水・海の神様が配祀されており、古代祭祀が時代を経て五穀豊穣の神様や、厄除けといった特定の神様への奉仕として形が変わってきたと思われる。
石上といえば朝廷時代の兵器庫であり、また物部氏の祖神である饒速日命の十種神宝や七支刀といった布留御霊剣大神の力が強い一方、石上(いそのかみ)という名称より、更に遡った太古の昔には、この辺り一帯が磯に面したエリアであり、太陽神や水や海の神々に対して祭祀を行っていたとことが石上神社の発祥ともいえる。
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千木を見る限り男性の神々が祀られているため、やはり天照大神はその昔、男性の神様だったのかなと思いつつ、その後、時を経て女性の神様となり、今では、あまねく私たちを照らす光の存在として私たちの中に共存している気がします。
そして石上神社では、私たちが存在する現世次元と、それとは異なる次元へと時空を通してつながっているようです。
「離れたくない」といった感情や、石上社の奥に吸い込まれるようなイメージ、或いは、クラクラと目が回るような心象をもたれた方は、別の時空にいる自分とリンクされているようです。
別の時空とつながったことで今後、様々な出来事が起こり始めます。一つひとつがカルマの解消となりますので片づけていってください。また否定的なネガティブな事象が訪れるかもしれません。その事象に対して反応しても反応しなくても全ては学びとなります。焦らず、自分を追い込まず、こういう時だからこそ、目標や目的を定めて、前に進んでいくほうにエネルギーを使ってください。
必ず、日々を通して成長をしています。
敢国神社(あえくにじんじゃ) ー 三重県伊賀市一之宮
伊賀国一宮として第8代 孝元天皇の御子 大彦命(おおひこのみこと)を主祭神に、少彦名命(すくなひこなのみこと)と金山比咩命(かなやまひめのみこ)が配祀されている。
朝廷の命により大彦命は四道将軍の1人として北陸道(くぬがのみち)を平定したとされ、その派遣の途中に、童女が歌う不吉な歌を耳にするが、その内容は異母兄弟の武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)が謀叛おこすという内容であった。その旨を第10代 崇神天皇に伝えるとともに、その謀反を鎮圧したという伝承が残され、その後、大彦命は大和へは戻らず、伊賀国の阿拝(あえ)郡に居住したため、阿拝をはじめ、敢・阿閉・阿部・安倍の祖神となったと言われている。
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駐車場から社殿へ向かう際に、呼ばれたのは表ではなく裏参道でした。その道には大石社があり、大昔より祭祀が行われていたような、とても古いエネルギーを大石社に感じながら社内へ入ってみると、とても穏やかな気が流れており、「ようこそ」と暖かい出迎えをいただきました。
御祭神には、須佐男命をはじめ、金山比古命や大山祇命、大日靈命と大物主命といった様々な神々が祀られており、伊邪那岐と伊邪那美から生まれた山の神 大山祇命をはじめ、伊邪那岐が黄泉の国より生還した際の禊から生まれた須佐男命と大日靈命こと天照大神、伊邪那美から生まれた金山比古命、そして須佐男命の御子とされる大物主命こと大国主命が勢ぞろいに鎮座されていることより、大昔からこの地では山を御神体とする古代祭祀が行われており、時を経ても脈々とそのエネルギーが受け継がれた結果、様々な神々が同神化され、今に至っているように思いました。
敢国神社の御神体とされる南宮山は伊賀の小富士と言われるほど形が美しく、神奈備にふさわしい山であることより、古代の人々は南宮山の神様と共に山に宿る精霊や神様を大切に祀ってきたこと、またそういった社にお出迎えをしてもらったことに感謝しました。
御上神社(みかみじんじゃ) ー 滋賀県野洲市三上
三上山に降臨した天照大神 孫神 天之御影命(あめのみかげのみこと)を主祭神に祀ったことが起源とされている。摂社や末社には天照大神をはじめ、瓊瓊杵尊等、天孫の神々が祀られている。
天之御影命は天目一箇命(あめのまひとつのみこと)と同神化されており、天照大神が天岩屋戸に隠れた際に、祭儀道具として刀を作った鍛治の神様とされ、目が一つと言われている。またこのエリアから銅鐸が発見されていることより、古代より鍛冶に携わる渡来人が住んでいたことや、鍛治は色で温度を確かめているが、その火色を正しく判断できるように片目で火を見つめるため、天之御影命が目が一つと言われている。
古来より刀剣は悪霊や邪悪を祓う呪具として用いられてきたことより、その祭祀が天之御影命と重なり、御上神社の祭神となったとも言われている。
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境内へ入るやいなや祝詞が奏上されはじめたため、神様からの祝福として受け取り、またこのタイミングに呼んでいただいたことに感謝しました。
鯖街道のように福井から京都へといった交通の要衝という面より近江には様々な人々が行きかい、様々な文化が持ち込まれ、また様々な信仰も形成されてきたことが伺えます。その歴史も継体や天智・天武よりも、もっと以前からあったことが御上神社に祀られている神々を見てわかります。ちなみに琵琶湖を囲むように古史古伝も出没しており、高島のホツマツタエもその一つです。
時折、滋賀に呼ばれて訪れますが、訪れる度に想像もしていない神様からの新しい教えや知識の習得があり、今回は三上山に宿る魂に触れることが出来たことに感謝しています。そして近江朝や安土文化を生み出した天智天皇や信長さんは、こういった神々と対話を通して、近江を選ばれたのかなと思うと二人の偉人のエネルギーに興味を持ちました。
近江で頂戴したエネルギーを次へ運ぶべく、私の惟神の道は続きます。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。